北方領土遺産『クリル探検。ネガと文書…1946』…③

ソ連の写真家が撮影した占領下の色丹島

●…旧ソ連の写真家イワン・クワチは、1946年5月から10月にかけてクリル諸島(千島列島)を調査した学者グループの遠征に同行し、1,883枚の写真を残した。その中には、ソ連占領下の色丹島国後島択捉島ソ連の人々との暮らしを余儀なくされた日本人島民の姿も記録されていた。

 ●…ソ連占領下で撮られた北方四島の写真は日本側にはほとんど残ってない。ソ連軍上陸直後、日本人が持っていた写真機はことごとく没収されたうえに、樺太経由で引き揚げる際に、写真のたぐいは厳しく持ち出しが禁じられたためだ。

 ●…クワチは学者たちの調査報告に使用する写真を撮影するとともに、脱出できでず島に留まった日本人島民の暮らしぶりにもレンズを向けた。撮影ノートにはネガフィルム1枚1枚に場所と日付が記録され、写真を説明するメモ書きまで記されたものもある。遠征隊の行程とともにクワチが撮影した写真を島ごとに整理した。(写真は彩色加工している)

 ●…クリル遠征のルート

    色丹島国後島-得撫島-択捉島-パラムシル島

 

●…クリル遠征の期間

   1946年5月24日 ウラジオストク出発

          6月12日   色丹島・斜古丹湾到着

 

●…色丹島調査

      1946年6月12日             斜古丹

                  6月13日~15日 穴澗 キリトウシ 能登呂山 能登呂湾 

                  6月16日            斜古丹

 

●…当時の斜古丹の人口(1947年7月時点)   

      904人(うち日本人570人、ソ連人334人)

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斜古丹の捕鯨場の庭にある祠で遊ぶ日本とソ連の子供たち〔1946年6月12日〕

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斜古丹の日本人の家族。一番左は経済地理学者テレションコフ〔1946年6月12日〕

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斜古丹にて。日本人女性からクリル・アイヌに関する情報を収集する経済地理学者テレションコフ(右)と軍の通訳官(左)〔1946年6月12日〕

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斜古丹の国民学校で。経済地理学者テレションコフは教師と話している。左は通訳官〔1946年6月12日〕

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斜古丹の子供たち〔1946年6月12日〕

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斜古丹の日本人が山から薪を袋に入れて運んでいる。左はテレションコフ〔1946年6月12日〕

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斜古丹の神社。鯨の骨からできた鳥居がある〔1946年6月12日〕

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最初に色丹島に上陸したソ連兵士たち。左からビチコフ軍曹、マフタロフ軍曹、ディカチ伍長。3人とも、ハジャエフ少佐部隊に所属している〔1946年6月12日〕

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色丹島キリトウシ。ベロシェイコ軍曹とニコライエンコ2等兵が斥候に出ている〔1946年6月14日〕

 

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