国後島の話題

7日間で巡る国後島:ヴェドモスチ紙の記者が体験「悪魔の指を数え、僧侶の岩の静寂を破った」

サハリン州から出ないでエキゾチックな場所を体験できるチャンスがある。しかも、それはすぐ近くにある。「眠れる森の美女」、火山の飛行場、沸騰する湖…。これらは、国後島にわずか数日滞在するだけで見ることができるもののほんの一部に過ぎない。サハリン...
択捉島の話題

択捉島で市長と住民が対話集会 市側が市営浴場の修繕を報告

択捉島クリリスク(紗那)で20日、クリル地区のコンスタンチン・イストミン市長が住民対話集会を開いた。1時間半にわたる懇談の中で、住民からは20近くの質問が出された。市長や幹部職員らは街路照明、道路状況、観光による地区財政への財政的利益、公共...
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専門家18人がまとめた「北方領土を知るための63章」出版 日本・ロシア間外交から生活、文化まで一冊に

第2次世界大戦後、ソ連軍が北方領土を占領してから今年で80年の節目に合わせ、ジャーナリストや研究者らが北方領土の全体像に多角的な視点から迫る『北方領土を知るための63章』(明石書店)を刊行した。日本固有の領土でありながら、日本でほとんど知ら...
択捉島の話題

『イトゥルプ、イトゥルプ 嵐の地、火山の地…』択捉讃歌の作者を偲ぶ会 

択捉島の著名な詩人で小説家、ジャーナリストであり、2021年に島で初めて名誉市民の称号を授与されたミハイル・ヤコヴレヴィチ・ウラルスキーさんを偲ぶ集いが11月14日、市立図書館で催された。(択捉島の地元紙「赤い灯台」テレグラム2025/11...
北方四島の話題

サケの資源量回復は早くとも2060年 サハリン・千島・北方四島海域

サハリン漁業・海洋学研究所(SakhNIRO=サフニロ)のニコライ・コルパコフ所長は11月20日に開催されたサハリン漁業評議会の最終会合で、「サハリンと千島列島(※北方四島を含む)でサケ資源が回復するのは早くても2060年になる」と報告した...
択捉島の話題

択捉島・紗那 新教会の今年の基礎工事が終了

択捉島クリリスク(紗那)で11月21日、コンチネント有限会社(Continent LLC)の建設部門が聖使徒ペトロ・パウロ教会の1階部分の基礎工事を行った。これで基礎部分の今年の工事は終了し、来春に再開される。1階へ降りるための入口が左右に...
択捉島の話題

荒波のためサハリンからの貨客船は択捉島・内岡の港に接近できず

荒天のため、パベル・レオーノフ号とイーゴリ・ファルフトジノフ号の2隻の貨客船が択捉島クリリスク港湾ターミナル(内岡)の埠頭に停泊できないでいる。写真のパベル・レオーノフ号の沈み具合から判断すると、乗組員と乗客は悲惨な状況に陥っているだろう。...
択捉島の話題

択捉島でレンガ生産「ソ連の入植者は日本の住宅にストーブがないので困った」

択捉島クリリスク(紗那)のクリル郷土博物館は、新たな展示品として、刻印のある粗粒レンガを収蔵した。このレンガが島内で作られたのか、サハリンや本土から持ち込まれたのか--。同博物館のエレナ・グルゾヴィコワ館長は、レンガの起源と択捉島における建...
択捉島の話題

択捉島の「アイヌの秘密」遊歩道が完成 紗那-内岡間に新たな観光ルートが誕生

択捉島のクリリスク(紗那)—キトヴィ(内岡)間の歩行者専用道で整備が進められていたユニークな「アイヌの秘密」遊歩道の工事が完了した。「アイヌの秘密」遊歩道は、テーマに沿った旅として設計されている。海沿いを歩くと、それぞれに謎が隠された4つの...
択捉島の話題

択捉島のクリル地区中央病院 千島・北方四島で初の腹腔鏡手術を実施

択捉島クリリスク(紗那)のクリル地区中央病院で初の腹腔鏡手術が実施された。外科医は新しい医療機器を用いて患者の胆嚢を摘出した。患者はわずか2日後に退院する予定で、医師たちはこれを病院にとって重要な一歩と捉えている。手術を執刀した外科医のデニ...
北方領土の最新情報

北方領土周辺海域のイワシ漁獲量が50万トン超える 巻き網漁船24隻が操業

ロシア漁業庁(ロズリボロフストヴォ)の発表によると、南クリル諸島海域(北方四島周辺)のイワシの漁獲量が50万トンを超えた。
北方四島の話題

ロシアの科学者が北方領土付近のオホーツク海で福島原発処理水の影響を調査

ロシア科学アカデミー極東支部のイリーチェフ太平洋海洋学研究所などの科学者を乗せた調査船「アカデミック・オパリン」が5日、南クリル諸島(北方領土)付近のオホーツク海で福島第一原発から放出されている処理水の影響を調査するため、ウラジオストクを出港した。
北方領土の最新情報

誰かが紗那川の橋と留別川の橋を取り違えて架けてしまった
択捉島の都市伝説

「ギドロストロイ」社は、クリリスク(紗那)市のクリルカ川(紗那川)にかかる重要な橋の無償修理を行った。現在のクリルカ川の橋は、同時に車1 台しか通行できないように設計されており、本当はクイビシェフカ川(留別川)に架けられる予定だった。誰かが橋を取り違えた。
北方領土の最新情報

国後島、色丹島のインフルエンザ予防接種率が最低
大人はワクチンを信頼せず、子供への接種を拒否

国後島と色丹島、サハリン州全体でインフルエンザ予防接種率が最下位となっている。予防接種を受けた成人は5,246人のうち1,255人、子供は2,057人のうち717人。人口の4分の1しか予防接種を受けていない。
北方領土の最新情報

ロシア人観光客が自転車で色丹島を旅行 7日間、テントで生活 

ロシア人のアルチョム・イヴィンさんは7 日間かけて色丹島を自転車で巡った。この間ずっとテントで寝泊まりした。明るく美しい映像を撮るために、島の湾や岬を訪れ、シュパンベルグ灯台(戦前に日本が建設した色丹灯台)もクワッドコプタ―で上空から撮影した。
北方領土の最新情報

今度はバギー、択捉島からウクライナ戦闘地域へ10台目の車両を移送

択捉島を管轄するクリル地区行政府は、統一ロシア党の地方支部の支援を受けて、ウクライナでの特別軍事作戦で戦うロシア軍にオフロード走行用バギーを送った。択捉島から戦地に送られた車両は合計10台になる。
北方領土の最新情報

故障の貨客船ファルフトジノフ 択捉島で34人の下船に成功 運輸検察当局が捜査開始

サハリン—北方四島間で運航されている貨客船イゴーリ・ファルフトジノフは22日に技術的な故障のため択捉島に寄港でずコルサコフに引き返したと報じられたが、サハリン州運輸省は23日、乗客のうち34人を択捉島で下船させることに成功したと発表した。
北方領土の最新情報

国後島の道路建設、深刻な人材不足 ウクライナでの特別軍事作戦も影響

国後島では専門家が不足している。島内の多くの企業と同様に、従業員の中にはウクライナでの特別軍事作戦に招集された人もいれば、他の場所で働くようになった人もいる。離島では有能な専門家の代わりを見つけるのは簡単ではない。国後島では住宅の賃貸料が高く、そもそも賃貸住宅はほとんどない。
北方領土の最新情報

択捉島・中央病院の院長 サハリン–アムール間の航空路線開設を知事に要請…「なぜ?」

サハリン州のリマレンコ知事が択捉島を実務訪問した際、クリリスク(紗那)にあるクリル地区中央病院のエレナ・マツィシナ院長がユジノサハリンスク(サハリン)とアムール州の州都ブラゴヴェシチェンスクを結ぶ航空路線の開設を要請した。
北方領土の最新情報

サハリンからの貨客船「イゴーリ・ファルフトジノフ」が故障で択捉島・内岡に寄港できず

10月22日14時頃、貨客船「イゴーリ・ファルフトジノフ」(コルサコフ-クリル諸島=北方四島航路)が択捉島のクリリスク海上ターミナル(内岡にある)に接近中に技術的故障に見舞われ、クリリスク、国後島ユジノクリリスク(古釜布)、色丹島マロクリリスコエ(斜古丹)の各ターミナルへの寄港を断念した。コルサコフ港に引き返す決定をした。
北方領土返還運動

北海道知事、北方領土返還に向け署名集めを全国に呼びかけ

北海道の鈴木直道知事は23日の全国知事会で「北方領土」返還を求める署名集めを出席した他の知事に呼びかけ、全会一致で支持されたと、北海道新聞が報じている。青森市で開かれた全国知事会で、鈴木知事は「北方領土」問題について発言した。「北方領土」は...
北方領土返還運動

ロシア最高検察庁 北方領土問題対策協会を「好ましくない組織」に指定

ロシア最高検察庁は、東京に拠点を置く日本の団体「北方領土問題対策協会」の活動を好ましくないと判断した。同団体は独立したNGOであるにもかかわらず、資金の大部分を日本の国家予算から得ている。 同協会のメンバーは、ロシアの択捉島、国後島、小クリ...
北方領土返還運動

北方領土に日本の郵便番号を割り当てることを提案 

3月21日--ロシアが平和条約と領土問題の解決に関する日露交渉から一方的に撤退して3年が経った。これは、東京が対ロシア制裁に加わったことに対するモスクワの反応だった。最も苦しんだのは、ビザなしで島に渡航する機会を失った南クリル諸島(北方領土)の元島民である一般の日本人だった。しかし、日本における返還運動は衰えていない。活動家の一人は、南クリル諸島の各島に日本の郵便番号を割り当てることを提案している。日本の北海道新聞が報じた。
北方領土返還運動

「北方領土」が載っていない地図をめぐり、日本でスキャンダル勃発 

函館市の求人サイト「函館しごとネット」に掲載された地図に「北方領土」が描かれていなかったことが分かり、日本ではスキャンダルが勃発した。Yahooによると、地元当局は9年後にようやくこの「誤り」に気づいたという。地図は「市民に誤解を与えないよう」にすぐに削除された。
北方領土返還運動

サハリンのメディアは「北方領土の日」をどう伝えたか–『日本が毎年恒例の「北方領土の日」を祝う』

2月7日金曜日、日本は「北方領土の日」を祝った。この日は、政府が返還を目指している「日本の固有領土」を国民が忘れないように、1981年に公式に制定された。主な行事は東京と北海道北東部の根室市で行われる。根室市はクリル諸島(北方領土)が目と鼻の先にある。
北方領土返還運動

リヤカー引き道内一周 札幌の瀬戸さん、根室で交流
北方領土問題も発信

リヤカーを引きながら徒歩で北海道を一周している札幌市の瀬戸雅斗(まさと)さん(20)が根室市で市民らと交流した。
北方領土返還運動

アジアの研究者が北方領土学ぶ 根室で元島民の講話聞く

国際政治を学ぶアジアの若手研究者に北方領土問題への理解を深めてもらう日本国際問題研究所(東京)の関連施設見学(海外短期特別フェロー招聘(しょうへい)事業)が9、10日、根室市内で行われた。
エトセトラ

「四島(しま)の記憶」 釧路のデュオが北方領土の歌を制作

www.youtube.com今朝のNHK北海道で北方領土の歌が出来たというニュースが放送されていました。作ったのは釧路で活動するデュオ「ヒートボイス」で、国後島の元島民2世の堀江則男さんが依頼した。NHK釧路放送局のブログでも紹介されてい...
北方領土遺産

択捉島の名物「鱒の石焼き」賓客をもてなす最高の御馳走

「戦前の北方領土・択捉島紗那(しゃな)村などを撮影した写真約250枚が18日、根室市に寄贈された。(中略)写真は畑さんが村長を務めた1933~35年(昭和8~10年)の択捉島や終戦前後の根室市街など。アルバムや写真裏のメモ書きから当時の様子...
北方領土遺産

南クリル地区80周年に寄せて—
古文書が語る日ソ混住時代「北海道から密入国する日本人をどうすべきか」

1946年4月、サハリン州において民政局が設立された後、南クリル諸島(国後島、色丹島、歯舞群島)では、他の11地区と同様に、レヴォン・アナトリエヴィチ・バブハディヤ大尉を長とする国後地区民政署が設立された。以下は、同氏が署名した最初の文書。...
北方領土遺産

千島列島からの日本人強制退去に関する資料公開へ

千島歯舞諸島居住者連盟関東支部は、第二次世界大戦中のクリル諸島(※北方領土を含む千島列島)解放後、強制退去となった8,835人の日本人に関する資料を札幌で公開する。この資料は、サハリンから函館への引揚船に乗船した人々のリストで、出入国日、氏...
北方領土遺産

北方領土・択捉島の日本建築「紗那測候所」1931年改築と判明

紗那測候所は、北方領土・択捉島に残る数少ない日本の木造建築だ。建築年などの詳細は不明だったが、北海道議会などの資料により、1931年(昭和6) 10月に改築されたものと分かった。1931年改築された当時の紗那測候所(「北海道議会史 第3巻」...
北方領土遺産

択捉島に残る戦前の日本の建造物 天寧国民学校「奉安殿」は鉄筋コンクリート造だった

択捉島に残る戦前の日本の建造物 天寧国民学校「奉安殿」は鉄筋コンクリート造だった
北方領土遺産

北方領土・択捉島の博物館に展示されているドイツ軍の燃料ドラム缶のなぞ

北方領土・択捉島の郷土博物館に興味深い展示品がある。ドイツ軍の燃料ドラム缶である。ドイツ軍の燃料ドラム缶がいったいどのようにして択捉島にたどり着いたのか?
北方領土遺産

『日ソ混住時代の北方領土』事件・事故ファイル➂

ソ連占領後、日本人とソ連人が混住していた時代の北方領土・択捉島の出来事をつづった本『私たちは普通の日本人と一緒に始めました! (クリル諸島1945 – 1950)』(アナトリー・サモリュク著)の中には、とても信じられないような出来事が紹介されている。
北方領土遺産

『日ソ混住時代の北方領土』事件・事故ファイル➁

1947年(昭和22年) 1月30日深夜、択捉島クリリスク(紗那)で大火災が発生し、内務省と国家保安省の地区部局に属する家屋5棟、ホテル1棟、日本人住宅2棟が焼失した。
北方領土遺産

『日ソ混住時代の北方領土』事件・事故ファイル➀

アナトリー・サモリュクさんの『私たちは普通の日本人と一緒に始めました! (クリル諸島1945 – 1950)』から、終戦直後、ソ連占領下の択捉島で起きた事件や事故をまとめてみた。
北方領土遺産

1946年ソ連占領下の択捉島 ナゾの死を遂げた住職

択捉島に30年以上住み、地元紙「赤い灯台」の記者として働いたアナトリー・サモリュクさんが2023年に出した本『私たちは普通の日本人と一緒に始めました! (クリル諸島1945 - 1950)』«Начинали вместе… с простыми японцами! (Курильские острова: 1945 – 1950 гг»を読んでみた。