千島列島

打ち捨てられた占守島はいかにして「記憶の象徴」「ロシアの主権の象徴」へと変貌を遂げたのか

わずか数ヶ月の間に、プーチン大統領の命令により、極北の孤島に慰霊碑が建立され、「永遠の炎」が灯され、歴史的戦闘の再現が行われた。これは、ロシアの主権の象徴としてのシュムシュ島の戦略的重要性を強調するものだ。地図上の点、戦争中の点シュムシュ島...
千島列島

日ソ激戦の地・占守島で地雷除去作業終了 ロシア軍が6,000個以上の爆発物を処理

対日戦勝と第二次世界大戦終結80周年を記念する行事が開催されているシュムシュ島(占守島)で、来島者の安全確保のため、爆発物の除去作業が行われ6,000個以上が処理された。作業はロシア軍東部軍管区の合同地雷除去部隊の24名が参加し、(ソ連軍と...
国後島の話題

国後島・古釜布湾でジェットスキーの2人が遭難 

国後島の南クリルスカヤ湾(古釜布湾)で18日、ジェットスキーに乗っていた2人が沖に流された。近くにいた小型船舶の乗組員が沖合1キロ地点で発見し、救助した。死傷者はいなかった。「ジェットスキーが遭難した」との通報があったのは同日14時41分。...
択捉島の話題

択捉島でガソリン不足 住民は車に給油できず 

択捉島の住民がガソリン不足に不満を訴えている。ガソリンスタンドにいつ燃料が供給されるか知らされていないという。「昨日からAI-92とAI-95のガソリンが供給されていません。誰も教えてくれないので、いつ給油できるのか分かりません」と、地元住...
千島列島

「占守島戦い」再現にベラルーシ、中国からも参加 千島上陸作戦80周年を記念する愛国行事開催

クリル(千島列島)上陸作戦の永続を願う愛国行事が18日、シュムシュ島(占守島)で開催された。記念すべきこの日の主な行事は、軍事歴史記念館の第一期開館式、シュムシュ島上陸作戦の再現、国際捜索隊によって発見されたソ連兵の遺骨の再埋葬式だった。シ...
国後島の話題

8月19日 国後島で国際サーフィン大会開催 南アフリカ、ブラジル、オーストラリア、ジンバブエの選手が出場

オリンピック種目「ショートボード」の国際サーフィン大会「チャンネル・ワン・カップ『世界の果て』」が8月19日、国後島のオルビタ・ビーチで開催される。世界クラスの選手が参加するロシア初の大会となる。ロシアサーフィン連盟とロシアのテレビ局「チャ...
千島列島

占守島の戦いから80年 プーチン大統領がメッセージ「連合国としての義務を果たし、千島列島を解放した」

8月18日は第二次世界大戦の決定的な戦いとなったクリル(千島列島)上陸作戦開始からちょうど80年にあたる。この日、シュムシュ島(占守島)では重要な出来事を語り継ぐための愛国的な行事が開催され、ロシア連邦大統領府第一副長官のセルゲイ・キリエン...
千島列島

北千島・占守島で軍事歴史記念施設の第一期開館式 プーチン側近出席

北千島シュムシュ島(占守島)で18日、軍事歴史記念施設の第一期開館式が行われ、ロシア連邦大統領府第一副長官のセルゲイ・キリエンコ氏とサハリン州知事のヴァレリー・リマレンコ氏が出席した。軍事史記念施設は、復元された軍事装備やソ連時代に建造され...
国後島の話題

国後島のクリル自然保護区のラッコ調査に400万ルーブル ロシア政府決定

ロシア連邦政府は環境・自然保護プロジェクト支援調整委員会の会合を開催し、今年4月1日に開始された大統領自然基金の第1回コンペの結果を取りまとめた。提出された225件の応募のうち、164件のプロジェクトに総額10億ルーブルの助成が決定した。そ...
千島列島

占守島の激戦地を巡る軍事愛国観光ルート「シュムシュ島の道」全長52キロが間もなく完成

北千島シュムシュ島(占守島)で、軍事愛国ルート「シュムシュ島の道」環状道路の建設工事が90%完了した。サハリン州観光省によると、現在までに16基の説明板と19基の案内表示柱が設置された。全ての工事はクリル上陸作戦80周年を記念する式典がお行...
北方領土の最新情報

北方領土周辺海域のイワシ漁獲量が50万トン超える 巻き網漁船24隻が操業

ロシア漁業庁(ロズリボロフストヴォ)の発表によると、南クリル諸島海域(北方四島周辺)のイワシの漁獲量が50万トンを超えた。
北方四島の話題

ロシアの科学者が北方領土付近のオホーツク海で福島原発処理水の影響を調査

ロシア科学アカデミー極東支部のイリーチェフ太平洋海洋学研究所などの科学者を乗せた調査船「アカデミック・オパリン」が5日、南クリル諸島(北方領土)付近のオホーツク海で福島第一原発から放出されている処理水の影響を調査するため、ウラジオストクを出港した。
北方領土の最新情報

誰かが紗那川の橋と留別川の橋を取り違えて架けてしまった
択捉島の都市伝説

「ギドロストロイ」社は、クリリスク(紗那)市のクリルカ川(紗那川)にかかる重要な橋の無償修理を行った。現在のクリルカ川の橋は、同時に車1 台しか通行できないように設計されており、本当はクイビシェフカ川(留別川)に架けられる予定だった。誰かが橋を取り違えた。
北方領土の最新情報

国後島、色丹島のインフルエンザ予防接種率が最低
大人はワクチンを信頼せず、子供への接種を拒否

国後島と色丹島、サハリン州全体でインフルエンザ予防接種率が最下位となっている。予防接種を受けた成人は5,246人のうち1,255人、子供は2,057人のうち717人。人口の4分の1しか予防接種を受けていない。
北方領土の最新情報

ロシア人観光客が自転車で色丹島を旅行 7日間、テントで生活 

ロシア人のアルチョム・イヴィンさんは7 日間かけて色丹島を自転車で巡った。この間ずっとテントで寝泊まりした。明るく美しい映像を撮るために、島の湾や岬を訪れ、シュパンベルグ灯台(戦前に日本が建設した色丹灯台)もクワッドコプタ―で上空から撮影した。
北方領土の最新情報

今度はバギー、択捉島からウクライナ戦闘地域へ10台目の車両を移送

択捉島を管轄するクリル地区行政府は、統一ロシア党の地方支部の支援を受けて、ウクライナでの特別軍事作戦で戦うロシア軍にオフロード走行用バギーを送った。択捉島から戦地に送られた車両は合計10台になる。
北方領土の最新情報

故障の貨客船ファルフトジノフ 択捉島で34人の下船に成功 運輸検察当局が捜査開始

サハリン—北方四島間で運航されている貨客船イゴーリ・ファルフトジノフは22日に技術的な故障のため択捉島に寄港でずコルサコフに引き返したと報じられたが、サハリン州運輸省は23日、乗客のうち34人を択捉島で下船させることに成功したと発表した。
北方領土の最新情報

国後島の道路建設、深刻な人材不足 ウクライナでの特別軍事作戦も影響

国後島では専門家が不足している。島内の多くの企業と同様に、従業員の中にはウクライナでの特別軍事作戦に招集された人もいれば、他の場所で働くようになった人もいる。離島では有能な専門家の代わりを見つけるのは簡単ではない。国後島では住宅の賃貸料が高く、そもそも賃貸住宅はほとんどない。
北方領土の最新情報

択捉島・中央病院の院長 サハリン–アムール間の航空路線開設を知事に要請…「なぜ?」

サハリン州のリマレンコ知事が択捉島を実務訪問した際、クリリスク(紗那)にあるクリル地区中央病院のエレナ・マツィシナ院長がユジノサハリンスク(サハリン)とアムール州の州都ブラゴヴェシチェンスクを結ぶ航空路線の開設を要請した。
北方領土の最新情報

サハリンからの貨客船「イゴーリ・ファルフトジノフ」が故障で択捉島・内岡に寄港できず

10月22日14時頃、貨客船「イゴーリ・ファルフトジノフ」(コルサコフ-クリル諸島=北方四島航路)が択捉島のクリリスク海上ターミナル(内岡にある)に接近中に技術的故障に見舞われ、クリリスク、国後島ユジノクリリスク(古釜布)、色丹島マロクリリスコエ(斜古丹)の各ターミナルへの寄港を断念した。コルサコフ港に引き返す決定をした。
北方領土返還運動

北海道知事、北方領土返還に向け署名集めを全国に呼びかけ

北海道の鈴木直道知事は23日の全国知事会で「北方領土」返還を求める署名集めを出席した他の知事に呼びかけ、全会一致で支持されたと、北海道新聞が報じている。青森市で開かれた全国知事会で、鈴木知事は「北方領土」問題について発言した。「北方領土」は...
北方領土返還運動

ロシア最高検察庁 北方領土問題対策協会を「好ましくない組織」に指定

ロシア最高検察庁は、東京に拠点を置く日本の団体「北方領土問題対策協会」の活動を好ましくないと判断した。同団体は独立したNGOであるにもかかわらず、資金の大部分を日本の国家予算から得ている。 同協会のメンバーは、ロシアの択捉島、国後島、小クリ...
北方領土返還運動

北方領土に日本の郵便番号を割り当てることを提案 

3月21日--ロシアが平和条約と領土問題の解決に関する日露交渉から一方的に撤退して3年が経った。これは、東京が対ロシア制裁に加わったことに対するモスクワの反応だった。最も苦しんだのは、ビザなしで島に渡航する機会を失った南クリル諸島(北方領土)の元島民である一般の日本人だった。しかし、日本における返還運動は衰えていない。活動家の一人は、南クリル諸島の各島に日本の郵便番号を割り当てることを提案している。日本の北海道新聞が報じた。
北方領土返還運動

「北方領土」が載っていない地図をめぐり、日本でスキャンダル勃発 

函館市の求人サイト「函館しごとネット」に掲載された地図に「北方領土」が描かれていなかったことが分かり、日本ではスキャンダルが勃発した。Yahooによると、地元当局は9年後にようやくこの「誤り」に気づいたという。地図は「市民に誤解を与えないよう」にすぐに削除された。
北方領土返還運動

サハリンのメディアは「北方領土の日」をどう伝えたか–『日本が毎年恒例の「北方領土の日」を祝う』

2月7日金曜日、日本は「北方領土の日」を祝った。この日は、政府が返還を目指している「日本の固有領土」を国民が忘れないように、1981年に公式に制定された。主な行事は東京と北海道北東部の根室市で行われる。根室市はクリル諸島(北方領土)が目と鼻の先にある。
北方領土返還運動

リヤカー引き道内一周 札幌の瀬戸さん、根室で交流
北方領土問題も発信

リヤカーを引きながら徒歩で北海道を一周している札幌市の瀬戸雅斗(まさと)さん(20)が根室市で市民らと交流した。
北方領土返還運動

アジアの研究者が北方領土学ぶ 根室で元島民の講話聞く

国際政治を学ぶアジアの若手研究者に北方領土問題への理解を深めてもらう日本国際問題研究所(東京)の関連施設見学(海外短期特別フェロー招聘(しょうへい)事業)が9、10日、根室市内で行われた。
エトセトラ

「四島(しま)の記憶」 釧路のデュオが北方領土の歌を制作

www.youtube.com今朝のNHK北海道で北方領土の歌が出来たというニュースが放送されていました。作ったのは釧路で活動するデュオ「ヒートボイス」で、国後島の元島民2世の堀江則男さんが依頼した。NHK釧路放送局のブログでも紹介されてい...
北方領土遺産

南クリル地区80周年に寄せて—
古文書が語る日ソ混住時代「北海道から密入国する日本人をどうすべきか」

1946年4月、サハリン州において民政局が設立された後、南クリル諸島(国後島、色丹島、歯舞群島)では、他の11地区と同様に、レヴォン・アナトリエヴィチ・バブハディヤ大尉を長とする国後地区民政署が設立された。以下は、同氏が署名した最初の文書。...
北方領土遺産

千島列島からの日本人強制退去に関する資料公開へ

千島歯舞諸島居住者連盟関東支部は、第二次世界大戦中のクリル諸島(※北方領土を含む千島列島)解放後、強制退去となった8,835人の日本人に関する資料を札幌で公開する。この資料は、サハリンから函館への引揚船に乗船した人々のリストで、出入国日、氏...
北方領土遺産

北方領土・択捉島の日本建築「紗那測候所」1931年改築と判明

紗那測候所は、北方領土・択捉島に残る数少ない日本の木造建築だ。建築年などの詳細は不明だったが、北海道議会などの資料により、1931年(昭和6) 10月に改築されたものと分かった。1931年改築された当時の紗那測候所(「北海道議会史 第3巻」...
北方領土遺産

択捉島に残る戦前の日本の建造物 天寧国民学校「奉安殿」は鉄筋コンクリート造だった

択捉島に残る戦前の日本の建造物 天寧国民学校「奉安殿」は鉄筋コンクリート造だった
北方領土遺産

北方領土・択捉島の博物館に展示されているドイツ軍の燃料ドラム缶のなぞ

北方領土・択捉島の郷土博物館に興味深い展示品がある。ドイツ軍の燃料ドラム缶である。ドイツ軍の燃料ドラム缶がいったいどのようにして択捉島にたどり着いたのか?
北方領土遺産

『日ソ混住時代の北方領土』事件・事故ファイル➂

ソ連占領後、日本人とソ連人が混住していた時代の北方領土・択捉島の出来事をつづった本『私たちは普通の日本人と一緒に始めました! (クリル諸島1945 – 1950)』(アナトリー・サモリュク著)の中には、とても信じられないような出来事が紹介されている。
北方領土遺産

『日ソ混住時代の北方領土』事件・事故ファイル➁

1947年(昭和22年) 1月30日深夜、択捉島クリリスク(紗那)で大火災が発生し、内務省と国家保安省の地区部局に属する家屋5棟、ホテル1棟、日本人住宅2棟が焼失した。
北方領土遺産

『日ソ混住時代の北方領土』事件・事故ファイル➀

アナトリー・サモリュクさんの『私たちは普通の日本人と一緒に始めました! (クリル諸島1945 – 1950)』から、終戦直後、ソ連占領下の択捉島で起きた事件や事故をまとめてみた。
北方領土遺産

1946年ソ連占領下の択捉島 ナゾの死を遂げた住職

択捉島に30年以上住み、地元紙「赤い灯台」の記者として働いたアナトリー・サモリュクさんが2023年に出した本『私たちは普通の日本人と一緒に始めました! (クリル諸島1945 - 1950)』«Начинали вместе… с простыми японцами! (Курильские острова: 1945 – 1950 гг»を読んでみた。
北方領土遺産

択捉島最大の日本人墓地「紗那墓地」の目の前にロシア正教の礼拝堂建つ

北方領土の択捉島・紗那にある日本人墓地「紗那墓地(リコップオマナイ)」の近くにロシア正教の礼拝堂が建設された。地元紙「赤い灯台」が伝えたもので、礼拝堂の空撮を見ると日本人墓地の直ぐ目の前にあることが分かる。