ワシントン・ポスト紙が日ロの係争地「国後島」のルポルタージュを掲載

北方四島の話題

 ワシントン・ポスト2019/5/10

『太平洋のロシアの前哨基地で 日本の将来の恐れと幻想』

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国後島の海岸線に放置されたソビエト時代の戦車の砲身

 

●…ロシアは島々を所有している。日本は、それらを自国の領土だと主張する。そしてプーチン大統領が突然、日本に島々を引き渡す可能性がある、という憶測がある。アジアの鉄のカーテンが太平洋の端っこ–モスクワから4,500マイル、タイムゾーンで8つも離れたこの地域にまだ残っている。この冷戦時代の前哨基地はクレムリンの世界的なチェス盤の中心的な地域として浮上している。

●…日本は長年にわたり、ロシアがクリル諸島の南の島々を不法に占領していると主張してきた。国後島から、日本北部の雪に覆われた山々(知床連山)が水平線上に見える。この2つの世界を結ぶ定期的な旅客サービスは存在しない。最近の東京とモスクワによる交渉の活発化は、クレムリンが、第二次大戦の終わりの日に赤軍が奪取した島々のいくつかを引き渡すかもしれないという憶測をもたらした。それは、プーチン大統領が米国の最も重要な同盟国の1つとの緊密な関係を勝ち取るのに役立つかもしれない。ロシアの国家主義者たちは、プーチン大統領がロシアの土地を1インチも渡してはならないと訴え、全国でデモを行った。

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軍が駐屯する瀬石の温泉         クリル自然保護区のキスレイコ氏

 

●…しかし、クリル諸島では議論はもっと実存的な問題だ。ロシアに住んでいるということはどういう意味なのか。自分たちが住んでいる島が突然日本領だと言われたらどうなるか。クリル自然保護区のアレクサンドル・キスレイコ氏は「ロシア人は自分たちのやり方で生活することに慣れている。日本のような美しさを望んでいない」と語った。

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●…国後島ユジノクリリスク(古釜布)在住のセルゲイ・スタルツィンスキーにとって、最初の日本の味は海岸で見つけたロリポップ・キャンディーだった。最近、船員をしている義理の息子がウニを運搬するため北海道へ行った時、寿司を買ってくるよう頼んだ。スタルツィニスキーはいま、アンテナステーションを営み、時間を見つけてはロックミュージックを奏でている。(全国コンテストで2位になったこともある)彼の作品の1つは、アイデンティティと係争地域で生活することの不安を歌っている。「彼らはこの土地が私のものではないと言った」「彼らはここに日本の笹がたくさんあるという」「だけど私はロシアの白樺が呼吸する音を聴いている」

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●…日本は係争中の島々を北方領土と呼んでいる。テンプル大学のジェームズD.Jによると、安倍首相は北方領土を取り戻そうとしている「個人的な十字軍」だという。「明らかな後退、大きな失望にも拘わらず、彼はそのことに固執し、壁を突破するためにすべてを与えようとしている」と語った。日本とソビエトは平和条約に署名していない。安倍首相が島々を取り戻す新たなチャンスを見出し、プーチン大統領が米国の同盟国と友好関係を結ぶ機会をつかんだ中で、交渉は活発になっている。しかし、引き渡しの憶測は民族主義者から反対運動を引き起こした。「クリルは常にロシアであり、これからもロシアであり続ける」と公正ロシアの党首セルゲイ・ミロノフは2月にテレビで吠えたてた。彼は、島々を「ロシアの島」と改名するよう呼びかけた。

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ユジノクリリスク(古釜布)の中心街

 

●…最近では島を走る自動車のほとんどは日本製で、その多くはロシア国旗が飾られている。沿道にある電柱のいくつかは日本時代のものだ、と住民が言う。彼らは昔、ロシアの電線でつながれた日本の電柱を金属製のキャップで識別していた。冷戦の間、北海道からのテレビ信号と海岸の漂流物は、日本に対する好奇心を刺激した。歌手のスタルツィンスキーは「私たちは箸が何であるかさえ、わからなかった」

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国後島の道路沿いに放置された古い漁船

 

 ●…国後島の南端にあるムラビョーワの故郷ゴロブニノ(泊)から15マイル先に日本がある。何十年もの間、住民は夜には日本側の街の灯りを見て、日中は知床の山々を見て暮らした。1990年代以降、両国政府はビザなし交流ブログラムの枠組みで、住民は年に数回日本を旅行するために船に乗ることができた。日本は将来の島々の引き渡しを視野に、ロシア島民との間で信頼関係を築くための方法として、この旅行を位置付けている。ムラビョーワは海峡を越えて旅をしようとは思わなかった。「私たちはサムライから何も必要としていない」と彼女は言った。

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アンナ・コーシェレワ(22歳) 

 

●…対照的に、国後島のエンジニアであるアンナ・コーシェレワ(22歳)は、高速インターネットが島に整備される前から、日本のアニメをダウンロードするために半日を費やしていた。JポップグルーブのDVDが「私の宝物」という女の子だ。「人々は自分たちを日本から切り離そうとしているようだ」と彼女は言った。2011年に初めて日本を訪れた彼女は「私はきちんとして規律正しいのがいい。島は好きじゃない、すべてがカオスだから」

 ●…ユジノクリリスク(古釜布)の図書館ではちょうど、ロシアとクリミアの統一を祝う展示会が開かれていた。司書のガリーナ・グルシュコワは「私は決定が下されることを信じている」と、領土紛争について語った。「間違いなく、私たちは国家の政策を支持する。それは当たり前のことだ」–。同時にグルシュコワは日本の詩人石川啄木の詩を暗唱し、隣国との深いつながりを強調した。彼女はずいぶん前に日本料理の勉強を始め、大根の代わりに赤かぶを使って料理をする。

●…ある人にとって島の生活は快適だ。給料は本土よりも高い。休暇は長く、一部の住民はタイやベトナムでバカンスを過ごす。たびたび襲う嵐は海岸にハマグリやホタテ貝をもたらす。ゴムの長靴を海に投げ込むと、靴の中に住み着いたタコと一緒に流れ着くこともある。

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●…島の将来は不透明なままだが、潜在的には有利である。国後島の新聞社の編集者であるセルゲイ・キセリョフは、領土問題に対する住民の態度は3つに分類できるという。愛国的な人々、全く気にしない人々、そして日本人がやって来るのを待っている人たちだ。「ある時、一人の男がやって来て『なぜ、あなたは島を出ないのか』と聞いてきたのを思い出す。そして彼は言う「あなたは賢くない。どうしてこんなと所に居続けるのか」–。キセリョフは、領土交渉に関する国民の関心が高まる中で、日本がやって来ることに対する期待を大っぴらに語る人はめっきり減ったという。国営の調査機関が実施した世論調査によると、島々の住民の96%がロシアの支配下にあることを望んだ。「私は怖いんだ」と漁業会社の船団を率いるセルゲイ・コロスティレフ(50歳)はつぶやいた。「私は大陸には何もない。島が日本に渡ったら、どこへ行けというのか」

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警察官からビジネスマンに転身したアンドレイ・セバルネフ

 

●…プーチン大統領の20年間に島の生活は改善した。アスファルトと近代的なプールが数年前に登場した。ここ数カ月で光ファイバーケーブルが敷設され、島は高速インターネットでつながった。これは一部の人にとって、不安を高めるだけだった。「これは生活を向上させるだけでなく、一種の引き渡し前の準備として見ることができる」と元警察官だったアンドレイ・セバルネフは言う。「あなたは自分のクルマを売る前に、きれいにするでしょう」

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ユジノクリリスクの漁師アナトリー・ヤコヴレフ(73歳)

 

●…日本の一人当たりの生産額は、依然としてロシアの4倍近い。ユジノクリリスクのアナトリー・ヤコヴレフ(73歳)は地下室の天井からニシンを吊るして燻製にしている。彼は政府が一般人を無視していると感じている。彼が言うには、地元漁民には限られた漁業権しか与えられていない。彼は1971年に建設労働者として島にやってきた。その後、漁船のコックとして働き、初めて日本を見た。普通の人が桟橋から釣りをすることが許されているのに驚いた。「日本人は本当に礼儀正しかった」

●…昨年9月、国後島に駐屯する機関銃砲兵連隊から多数の兵士が参加して、ユジノクリリスクの海岸で敵の上陸を想定した訓練が実施された。訓練の終わりに、砂浜に赤いソビエトの旗が立てられた。2日後、日本の菅官房長官が「訓練は容認できない」と述べた。それは、73年前の島々に対するソビエトの攻撃の再現だった。

●…カザフスタン生まれの市議会議員で警備会社の社長でもあるアレクサンドル・ヤロヴォイがアイディアを思いついた。行政府から45,000ドルの助成金を受けて、街中に軍事機器の野外博物館を開設した。「私たちの島では、これまで以上に日本人がやって来ている。この状況ではアイデンティティとロシアの歴史を失ってはいけない」–。ヤロヴォイは退役した軍の上級将校として、退任後5年間は海外への出国を禁じられていた。彼は昨年、ビザなし交流でついに日本を訪れた。ショックを受けた。日本人はとてもフレンドリーだった。「軍にいたこともあり私は独裁的な人間だったが、周りの人々にもっと経緯を払い、優しく接するようになった」と彼は言った。

 

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国後島の泊山のカルデラで調査をするクリル自然保護区の職員

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