国後島に残る戦前の電信柱 太平洋側に十数本 風雪に耐えて80年?!

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国後島自由訪問(2019.6.21-24)

●…国後島の古釜布から北へ向かう未舗装の道路を走っていると、左手に古い木製の電信柱が次々と目に飛び込んできた。3年前に訪ねた時、島のロシア人から「日本時代から使われている電信柱だ」という話を聞いた。以前、電信柱にはプレートが貼ってあり、日本語で何か書かれており、頭頂部は雨の侵入を防ぐため金属製のキャップでおおわれ、番号が記されていたという。

●…「北海道電気通信線路史(下)」によると、国後島の電信線敷設工事は1897年(明治30年)にノツエト崎からアトイヤ岬まで総延長145㎞の間に、2417本設置された。国後島の電信線は海底ケーブルで根室側陸揚庫とつながり、択捉島蘂取村まで延びていた。

●…当時は島のトドマツの生木が使われたが腐食が激しく、1904年(明治37年)~1907年(明治40年)にかけて、硫酸銅を注入した防腐材に建て替えられた。1935年(昭和10年)以降改築工事が行われたが、柱はほとんど傷んでいなかったと記録されている。

●…これらの電信柱が1935年の改築工事で建て替えられたものだとすると、80年以上も風雪に耐え、立ち続けていることになる。

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