国後島の南端ゴロブニノを歩く 今も残る仏教寺院の鐘楼跡

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北方四島の話題

 サハリン・インフォ2019/10/24

●…国後島の南端ゴロブニノはユジノクリリスク(古釜布)から54kmにある人口約150人の村である。1946年まで、この村は「泊(とまり」と呼ばれていた。ソ連と日本の戦争の後、ソ連支配下に入り、1947年10月15日のソ連最高会議幹部会令によってゴロブニノと改名された。ワシリー・ミハイロヴィチ・ゴロヴニン提督が1811年にこの地で拘束されたことに由来する。

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●…村の北東部に日本人の墓があり、今もビザなし渡航の枠組みで、日本人が先祖の墓参りに来る。かつて仏教寺院があった場所には今も鐘楼の台座が残っている。5m×5mで高さ2mのコンクリート製である。台座には入口があり、内部に入ると4本の支柱が天井を支えているが、コンクリートはところどころ剥がれ落ちている。

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