❐北方四島の話題
サハリン・クリル通信2019/10/24
●…ソビエト時代、国内の缶詰のほぼ半分が色丹島で生産されていた。色丹島在住のリュドミラ・ラミナは1975年から魚の加工場で働いてきた。彼女によると、島には6つの加工場があり、そのうちクラボザボツコエ(アナマ)に3つあった。サンマの缶詰を製造して海外に輸出した。ソ連全土から最大3,000人の学生が働きに来て、村の暮らしは沸騰していた。
経済危機と地震被害で衰退
●…その後、経済危機が起こり、1994年にはシコタン地震に見舞われた。甚大な被害を受けた加工場では生産が完全にストップし、村の生活はフリーズした。人々は将来の見通しが立たないことから、一斉に島を離れ始めた。
1999年、色丹島にギドロストロイ進出
●…しかし、1990年代後半になると、有名な水産企業ギドロストロイが色丹島に進出してきた。ギドロストロイは1999年にクラボザボツコエに水産加工場を開設した。
●…そして10年後、漁業にとって新しい時代が到来した。伝統的に、島の加工場はタラ、スケソウダラ、サンマ、イカ、カレイ、時にはオヒョウを扱ってきた。南クリルの海は資源に恵まれていた。当時の加工場の生産能力は1日300トンだった。
イワシのサイクルは20-25年周期
●…近年、南クリルの海域に再びイワシとサバが接近してきた。漁業の歴史を振り返ると、イワシは大量にやってきたかと思うと、ある時、忽然と姿を消す。このサイクルは予測可能で、20年から25年周期で繰り返す。
●…1920年代以降、イワシは極東漁業の主要な魚種だったが、1941年に突然消えた。1960年代に再び現れ、漁獲量の半分を占めた。1970~1980年代には極東地域で年間60万トンの漁獲があった。1986年–1989年の4年間でソビエトの漁船は570万トン以上のイワシを漁獲した。そして、1993年以降、再び姿を隠した。イワシと一緒に移動するサバでも同じことが言える。
イワシが再び戻ってきた!
●…2011年、イワシは徐々に戻ってきた。漁獲可能量は数十万トンになると予測された。しかし、経営者がこの自然の恵みに迅速に対応できるかどうかが問題だった。新しい漁船を手に入れ、生産ラインや労働者を確保する。そして、市場はどうか…。
魚種交代にいち早く対応したギドロストロイ
●…この課題に、最初に対応した企業がギドロストロイだった。2017年にクラボザボツコエに新しい工場の建設を始めた。「驚くべきスピードで工場を整備した。すべては2年半で完成した」と、クリリスキー・ルイバク・クラボザボツコエ支店(ギドロストロイのグルーブ企業)のオレグ・マズール支店長は言う。
最先端の設備機器をアイスランドから輸入
●…最新の設備機器はアイスランドとドイツから導入した。魚処理で世界最高のハイテクソルーションを提供しているアイスランドのスカギンが設備を供給した。ギドロストロイのアレキサンドル・ヴェルホフスキー会長は「極東で最も近代的な工場だという人がいるが、私は世界で最も近代的な工場だと考えている」とほほ笑む。
●…ギドロストロイは新工場の建設に約70億ルーブルを投資した。工場本体だけでなく、クラボザボツコエ湾全体のインフラを更新した。新工場に隣接して、魚の廃棄物から1日25トンの魚油・魚粉を生産するプラントも建設した。さらに製品5,000トンを貯蔵できる冷蔵庫、従業員用の宿舎も新設した。漁船はノルウェーから購入した中型トロール船3隻を含め7隻体制とした。
新工場はサッカーグラウンドより大きい
●…新工場の広さは7,500㎡で、FIFA基準のサッカーグランドの7,100㎡より大きい。1日の処理能力は1,000トン。製造責任者アレクサンドル・マリニンによると、これまでは最大でも500トンだったという。
温度管理で高品質の製品生産
●…最新の設備は自動化により、あらゆる種類の魚の処理を迅速かつ効率的に行う。スケソウダラは内臓を取り除き、卵とフィレに、廃棄物は魚油・魚粉工場へ送られる。温度管理も徹底している。イワシの温度は漁獲された海の水温や輸送、加工時の温度に影響される。「近代的な設備によって加工のプロセスで同じ温度を維持し、魚が温度変化の影響を受けず、高品質の製品が出来るようなっている」とマリニンは言う。
イワシの漁獲可能量は14万トンに増加
●…今年、科学的な調査によってイワシは9万トンの漁獲が認められている。しかし、魚群のアプローチが拡大し、漁獲可能量は14万トンに増えている。
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