北方領土ノート
『太平洋戦争の勃発からヤルタ会談まで』…③
1941年(昭和16年)4月、日中戦争を戦っていた日本は、ソ連と中立条約を締結する。資源豊富な東南アジアへ進出するために北方の安全を確保する必要があったからだった。
日本は交渉の過程で、より拘束力が強い不可侵条約を望んでいた。これに対し、1940年(昭和15年)11月、ソ連のモロトフ外相はロシアが極東でこうむった南樺太と千島列島の返還を伴わない案なら応じられないとして、逆に中立条約を提案した。
アメリカはこの交渉経過を把握し、ソ連が南樺太と千島列島に強い関心を寄せていることを理解した。
南樺太と千島列島について話し合われた主要な会談を時系列で整理すると以下のようになる。
1940年11月
日ソ不可侵条約締結交渉の過程で、ソ連のモロトフ外相が南樺太と千島列島を要求
1943年10月5日
ルーズベト大統領が国務省スタッフとの会合で、ソ連の対日参戦を可能にするため、千島列島はソ連に引き渡されるべきだと表明
1943年10月19日~10月30日
モスクワで開かれた米英ソ3国外相会議でアメリカのハル国務長官がソ連のモロトフ外相に、南樺太と千島列島をソ連領とする見返りに対日参戦を要求
1943年10月30日
モスクワで開かれた米英ソ3国外相会議の晩餐会で、スターリンがハル国務長官に対日参戦の意向を耳打ち
1943年11月28日~12月1日
テヘランで開かれた米英ソ3国首脳会談で、ドイツ降伏後のソ連の対日参戦の方針が決定
1944年10月17日
スターリンがアメリカのハリマン駐ソ大使との会談で、日本との戦争に必要な軍需物資資のリストを提示
1944年12月14日
スターリンはハリマン駐ソ大使と会談し、南樺太と千島列島はソ連に返還されるべきであると、初めて表明
スターリンが対日参戦の条件として、初めて南樺太と千島列島を挙げたのは1944年(昭和19年)12月だった。それより前、1943年(昭和18年)10月の段階でルーズベルトは南樺太と千島列島はソ連に引き渡されるべきとの考えを示し、直後に開催されたモスクワ外相会談でソ連に提案している。
南樺太と千島列島のソ連への引き渡しは、スターリンの領土的野心を応えるかのように、対日参戦の取引材料としてルーズベルトの方から提案していた。
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