❐サハリンの話題
サハリン・クリル通信2020/4/13他
https://skr.su/uploaded/85/c1/16/fcdefd91a986b8c10cef74d2f7.mp4
https://skr.su/uploaded/7e/1a/7c/daa1173d36bcec3773768da4de.mp4
帝政ロシア時代にサハリンの中心地だったアレクサンドロフスク・サハリンスキー(日本時代は落石=おっちし、亜港=あこうと呼ばれた)の海岸にロシア本土に通じる「水中トンネル」が姿を現した。サハリンの歴史家イーゴリ・サマリン氏は「地元の古老たちも、これが何であるのかを知らない。一説によると、スターリン時代に囚人によって築かれた大陸へのトンネルであるという人もいる。公的資料では、道を造る計画はすぐに立ち消えになり、囚人たちが工事に取り掛かる時間はなかった。しかし、人々は秘密を信じる傾向がある」と語っている。インスタグラムでは、古代に造られた巨石構造物だという指摘も出ている。建設技術と材料から南米のマチュピチュ遺跡に通じるものがあるという。また、太平洋を震源とする地震、とりわけクリル諸島一帯での活発な地震によって隆起し、海面上に現れるようになったとする人もいる。サハリン・クリル通信は歴史家イーゴリ・サマリン氏にビデオ映像を送り、見解を求めた。彼は、それが水中の道、トンネルであるという意見に断固同意しなかった。「私の考えでは、これらはセミョノフスキー鉱山の古い監獄の跡かもしれない。より最もらしい仮説は、火山活動による地質形成過程で砂や波に洗われて出来たのかもしれない」というが、現地に出向き調査をする考えは、今のところないようだ。
※サハリン・インフォは有力な説として、旧桟橋の土台、あるいは荷揚げふ頭の跡でないかとして、読者から提供された古い写真を掲載している。
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