1945年8月25日、ペトロパブロフスク海軍基地とカムチャツカ防衛区の部隊による北クリル占領作戦は続いていた。デニーソフ海軍少佐が指揮する第1偵察部隊は温禰古丹島(現オネコタン島)、捨子古丹島(現シアシュコタン島)に上陸し、日本軍を武装解除した。ボロノフ大佐が率いる第2偵察隊は中部クリルの松輪島(現マトゥア島)に接近。駐留していた日本軍は降伏の準備を整えていた。占領した島々にはソ連兵が残り、警戒に当たった。一方、サハリンでは本斗(現ネベリスク)から大泊(現コルサコフ)を目指していた海軍分遣隊が到着。海路を移動してきた海軍旅団も入港し、南クリル諸島(北方四島)上陸作戦の拠点となる大泊を完全に占領した。また、豊原(現ユジノサハリンスク)にも分遣隊が到着、日本軍を武装解除した。これにより、南サハリンでの作戦は終了し、ソ連の主権下に置かれた。作戦全体を通してソ連兵900人以上、日本兵約700人が戦死した。そしてこの日8月25日に南クリル諸島の上陸・占領作戦の準備が始まった。(サハリン・クリル通信2020/8/25)
https://skr.su/uploaded/a8/27/69/3acb6d037aca9f931457412259.mp4
※サハリン・クリル通信の「50度線からのリポート」(75年前にサハリンとクリル諸島を日本軍国主義者から解放し、第二次大戦を終わらせた一連の戦いを過去の日時と連動させて紹介するプロジェクト)から–。
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