1945年8月31日、カムチャツカ時間の正午(日本時間午前10時)、カムチャツカ防衛区軍司令官グネチコ少将とウルップ島(得撫島)の日本軍第129独立混成旅団の旅団長・仁保進少将が会見。ウルップ島の日本軍は降伏文書に署名した。これによって、カムチャツカ防衛区軍に課せられた任務は完全に完了した。シュムシュ島(占守島)からウルップ島まで、クリル諸島の北部の島々はすべて、カムチャツカ防衛区軍の支配下に置かれた。(サハリン・クリル通信2020/8/31)
https://skr.su/uploaded/47/99/a7/736a08411260c426ab1c855c1a.mp4
※サハリン・クリル通信の「50度線からのリポート」(75年前にサハリンとクリル諸島を日本軍国主義者から解放し、第二次大戦を終わらせた一連の戦いを過去の日時と連動させて紹介するプロジェクト)から–
※補足
【ソ連軍の動き】
「千島占領1945年夏」(ボリス・スラヴィンスキー著)より
8月31日02:30
色丹島上陸部隊がサハリンの大泊港を出航。ヴォストリコフ海軍少佐指揮下の第113狙撃旅団の2個大隊で編成 ①掃海艇T-596総員200名(狙撃中隊1個中隊、自動小銃中隊1個中隊、衛生小隊1個小隊) ②機雷敷設艦ギジガ総員396名(狙撃中隊1個中隊、迫撃砲中隊1個中隊、対戦車銃中隊1個中隊、対戦車砲小隊1個小隊)※「千島占領1945年夏」の記述にはないが色丹島上陸部隊は3隻編成だった。③掃海艇T-594
8月31日未明
サハリンの大泊で国後島上陸部隊編成(ヴィニチェンコ海軍少佐指揮) ①上陸用舟艇DS-31総員216名(自動小銃大隊1個大隊、偵察中隊1個中隊)、45mm砲2門 ②上陸用舟艇DS-34総員186名(衛生中隊1個中隊) ③護衛艦EK-4
8月31日(時間不明)
大泊海軍基地の指揮官からブルンシテイン海軍中佐に「択捉島の自動小銃兵1個中隊を掃海艇に乗せ、国後島へ赴くように」指令
8月31日05:05
掃海艇T-590が100名の上陸部隊(自動小銃兵1個中隊)を乗せ、択捉島留別湾を出航。国後島へ向かった。上陸手段として日本漁船を曳航した
【四島の役場からの連絡】
8月31日
択捉全島に亘(わた)り 一機内至(ないし)二機編隊を以て監視飛行継続されつつあり 全島通信杜絶す 其の后の模様不明なり
8月31日15:00
択捉島の澤田曻之助村長から根室支庁長宛の電報「言語通ぜず 至急通訳派遣せられたし」
8月31日20:00
色丹島の梅原衛村長から根室支庁長宛の電報「(私は根室出張から)17時帰庁せり 連合軍ソ連軍使 人員不明なるも一両日中には訪(と)うの旨 部隊へ申入あり 会見場所は役場なるも 吏員は一時退場せしめらるべし 択捉における決定事項 一般地方民の生命財産は保証せらる 婦女子の名誉は重ずる 一般地方民は19時より6時迄は家に在るべきこと 8時より19時迄は行動の自由を許す 地方警備は憲兵が行う 進駐の目的は武装解除の為の由なり」
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