9月1日 ソ連上陸用舟艇がフルカマップ湾に上陸 日本軍の将兵469人を捕虜にした

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1945年9月1日–。この日、クリル諸島上陸作戦史上、極めて重要な出来事があった。早朝、ソ連軍の2隻の上陸用舟艇が40分ほどの時間差で国後島フルカマップ湾(現ユジノクリリスキー湾)の沖合に姿を現した。現在のユジノクリリスク市のすぐ近くである。最初の上陸用舟艇はヴィニチェンコ海軍少佐の指揮で、サハリンの大泊(現コルサコフ)から来た。2隻目の上陸用舟艇択捉島から来た。指揮官のブルンシティン海軍中佐は、択捉島で日本軍の武装解除を行っていた。2隻は合流して湾内に入った。ソ連兵が最初に上陸した地点は、現在、解放兵士の記念碑が建つ場所である。ゾロトボロゾフ少佐が率いる第113狙撃旅団所属の機関銃大隊が上陸した。国後島の日本軍の武装解除が始まった。46人の将校と423人の日本兵を捕虜にした。しかし、日本軍の第89師団の主要部隊はすべての武器を海に沈めてしまっていた。(サハリン・クリル通信2020/9/1)

https://skr.su/uploaded/a5/36/99/8c92777bd5a823097f6aabcd99.mp4

※サハリン・クリル通信の「50度線からのリポート」(75年前にサハリンとクリル諸島を日本軍国主義者から解放し、第二次大戦を終わらせた一連の戦いを過去の日時と連動させて紹介するプロジェクト)から–

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ソ連軍が上陸した古釜布の浜(2019年撮影)

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国後島に上陸したソ連軍の上陸用舟艇は、米ソ極秘協力「プロジェクト・フラ」によってアメリカ海軍から貸与されたものだ。

※補足

ソ連軍の動き】

9月1日05:40(カムチャツカ時間、日本より2時間早い)

ヴィニチェンコ海軍少佐の上陸部隊が国後島古釜布湾入り口に到着。択捉島から回された掃海艇T-590と合流した

9月1日06:40

ヴィニチェンコ海軍少佐の上陸部隊及び掃海艇T-590が国後島古釜布に上陸開始。日本軍の軍使到着、降伏の意志表示(将兵1,250名)

9月1日10:05

ヴィニチェンコ海軍少佐の部隊が国後島上陸完了

9月1日11:00

国後島へのチチェリン部隊の増派決定、大泊で部隊編成 ①輸送船フセヴォロド・シビルツエフ(第113狙撃旅団兵員632名、馬100頭、大砲7門、自動車30両、弾薬・食糧65トン) ②輸送船ノヴォシビスク(兵員1,847名、馬90頭、大砲20門、自動車26両、弾薬・食糧280トン) ③護衛艦EK-6 ④掃海艇T-273 ⑤掃海艇T-274

※上記は「千島占領1945年夏」(スラヴィンスキー著)より

国後島から根室支庁への報告】

「今朝五時 連合軍の一部約三百名は 古釜布に上陸し 其(そ)の一部約二五名は 目下泊に向け陸行しつつあり」

ソ連軍艦五隻古釜布に入港せり 三百上陸 植内沖にも分散す 泊に来るもの船舶故障あり 古釜布に引返し 本日軍艦により来るも 今後通信連絡は不能の場合あるも 現地部隊と連絡遺憾なきを期すべく 尚人心は安定しあるに付 御安心乞(こ)う」

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