9月15日付毎日新聞に、択捉島に残る数少ない日本建築「紗那国民学校の一部が老朽化のため取り壊された」という記事が掲載されていました。紗那国民学校は1938年(昭和13)に建設され、当時の名称は紗那尋常高等小学校でした。ソ連占領後は、日本人が島を追われるまで、日本人の子供とロシア人の子供が午前、午後に分かれて同じ校舎で勉強していたこともありました。島のロシア人にとっても思い出の「母校」です。本間記者は「現存部分が解体されてしまう前に、計測と図面の作成をロシア人に委ねることはできないものか」と提案しています。
戦前の校舎
校庭で遊ぶ日本人とロシア人の児童(1946年撮影)
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