1947年10月15日、ソビエト連邦最高会議幹部会令によって、ユジノクリリスキー都市管区に5つの村議会が設立された。ゴロブニノ村(泊)もその1つだ。以来、この日は村の誕生日として祝われている。1947年、ヴォルガ地方から移民家族がゴロブニノにやってきて、暮らし始めた。今、ここに暮らす人々は第4世代、第5世代となる。1948年、サラトフ地方から入植した人々が集団農場「サラトフの漁師」を設立し、漁業と農業に従事した。彼らは寒天の原料になる貴重な紅藻類を採取。1年後に寒天工場がゴロブニノで稼働し、7年間操業を続けた。(※戦前、泊村には伊谷草を原料としていた寒天工場があり、その工場をソ連が再稼働させた)1960年代に生産組織の再編成があり、「サラトフ漁師」や「ロジーナ」などいくつかの集団農場が統合され1つになった。ゴロブニノは手入れの行き届いた村で、国後島住民は「島の楽園」と呼んだ。1960年代後半には、家々が立ち並び、パン屋、浴場、病院、学校、幼稚園、図書館、衣料品店、理髪店のほかクラブが3つもあった。村の誕生日に合わせて、50年以上住んでいる4人の住民に南クリル行政府から感謝状が贈られた。年金受給者で高齢にもかかわらず個人農場を維持し、月に3,500~4,500ℓの牛乳を生産している人や造園、電気工事、除雪のボランティアをしている人もいる。10月17日には、ゴロブニノの文化の家でお祝いのコンサートが開催され、村の住民が招待される。(Kurilnews.ru 2020/10/14)
※戦前、日本が建てた寒天工場を再稼働させた(写真は1946年撮影)
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