北海道新聞<風街だより> (2020/10/25電子版)
釧路地方法務局根室支局の会議室に1枚の遺影がかかっている。穏やかな表情を浮かべ、丸めがねの奥から実直そうな目がのぞく。説明書きにこうある。
<国後島からの決死の登記簿搬出について「私の心は安らかである」と語った。その功績は永久に消えない>
遺影の男性は浜清さん(1906~73年)。43年(昭和18年)、北方領土・国後島の登記事務を担っていた根室区裁判所泊出張所に書記として着任した。
浜さんの手記などによると、終戦直後の45年9月初め、旧ソ連軍が侵攻してきた。島民が動揺する中、土地、建物の登記簿を根室に移すしかないと決意する。上司に電報で指示を仰ぐが、返事がない。やむなく独断で船を雇い、あらゆる書類を根室に運んだ。船賃は3千円。月給の30カ月分だったという。
ところが上司からは「無断で閉鎖、引き揚げた行為は許されない」と叱責(しっせき)され、浜さんは辞職願を出す。11月に評価が一転し、船賃も支払われたが、「私の心情はさびしいの一語であった」。5年後、根室支局長を最後に法務局を去った。
支局の耐火書庫には今も浜さんが運んだ国後島分をはじめ北方四島の登記簿が大切に保管されている。その数は約1万に及ぶ。いずれも元島民の財産権を証明する貴重な資料だ。河野太郎沖縄北方担当相も先月、「登記の状況に非常に興味があった」と視察に訪れた。
浜さんは「島が日本に戻った時、所有権の証明は私が持ち帰った登記簿によりなされるものであり、中間的に補償があるとするならばその基礎となるものと私は信じている」と記した。
しかし戦後75年、領土問題に進展はない。終戦時1万7291人いた元島民は5725人に減り、平均年齢は85歳を超えた。元島民たちは「日本固有の領土」である四島に残した土地などの財産権を行使できず、その損失補償を国に求めている。だが国は「(領土問題を含む)ロシアとの平和条約締結交渉で明確にする」と答えるだけだ。
国後島出身で千島歯舞諸島居住者連盟(千島連盟)根室支部長の宮谷内(みやうち)亮一さん(77)は「命懸けで登記簿を運んでくれた浜さんの思いが生かされていない。申し訳ない」と話す。
天国の浜さんはどう思うだろう。元島民の置かれた状況に心安らかでいられるだろうか。(根室支局長・黒田理)
※以下参考資料
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