北方領土返還運動の原点・根室でも、75年前に根室町長、安藤石典(いしすけ)が四島返還の陳情書を起草した「12月1日」が長く意識されてきたわけではない。(北海道新聞・釧路根室版2020/12/2)
■やり場ない怒り
1855年(安政2年)に日露通好条約が結ばれた「2月7日」の方がなじみが深かった。政府が1981年に閣議了解して制定した北方領土の日である。
「あの銃撃事件がきっかけです」と振り返るのは納沙布岬にある啓発施設「北方館」館長の小田嶋英男(69)だ。2006年8月、北方領土・貝殻島付近の海域でカニかご漁船がロシア国境警備隊に銃撃され、30代の漁船員が死亡した。
領土対策担当の根室市総務部長だった小田嶋は「やり場のない怒りが充満していた」のを覚えている。
領土問題が未解決だから非武装の漁民が犠牲になる―。近隣町にも呼びかけ、翌07年の北方領土の日の前日、2月6日に東京で領土返還を求める中央アピール行動が初めて実現した。
場所は新宿。元島民、根室高校の生徒、在京の根室管内関係者ら約100人が早期返還を訴えながら、2キロ弱を行進した。
2回目は、原点に返ろうと「12月1日」を選んだ。行進のコースも銀座周辺に変更した。かつて安藤が陳情に訪れた連合国軍総司令部(GHQ)本部のあったビルの近くを通る。
今年は新型コロナウイルスの影響で中止になったが、昨年までは毎年、全国から約500人が集まった。
元島民らでつくる千島歯舞諸島居住者連盟(千島連盟)副理事長の河田弘登志(ひろとし)(86)=歯舞群島の多楽島出身=は1回目から欠かさず参加している。
河田は23歳で根室市役所に入る前、運送会社に勤めていた。そのころ何度か晩年の安藤に会った。話の内容は記憶にないが「きちっとした視線をこちらに向けて話す人だった」。
65年に市に領土対策係ができてからは、さまざまな形で返還運動にかかわった。道内外への啓発キャラバン、根室を訪れる各種団体への対応…。退職後は千島連盟根室支部長をへて13年に現職に就く。
■平均年齢85歳超
河田は返還運動に投じた半生を振り返り、こう語る。「私たちの目が黒いうちに解決するものか心配です。ただ2世だけでなく、3、4世に引き継ぐことになっても、われわれは返還が実現するまで絶対に諦めません。そういう覚悟で運動をやっています」
安藤が初めて陳情書を起草したころ、1万7千人以上いた元島民は今や3分の1の5700人余り。平均年齢は85・5歳だ。一方、その後生まれた2~4世は3万人近くに上る。
「もちろん元島民、根室地域、北海道だけの問題ではない。国民一人一人の問題です」。河田はそう言葉を継いだ。
根室市長石垣雅敏(69)は、安藤から数えて10代目の首長となる。「安藤からの重いバトンを受け継いでいる。その思いを実現したい」と話す。
12月1日のアピールが、どうすれば若い世代に受け入れられるか、全国に広めるにはどうすべきか、考えなければならないという。
安藤の訴えから75年。領土交渉が停滞する中、先を見据えた取り組みが求められている。(敬称略)
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