鳥羽一郎のデビュー曲にして代表曲でもある「兄弟船」には、歌われなかった、もうひとつの「兄弟船」があります。漁師の兄弟が、帰りたくても帰れない北方領土・国後島へのおやじの思いを綴った歌詞です。北海道新聞のコラム「朝の食卓」に「兄弟船」の秘話を書きました。12月18日付朝刊に掲載されます。
鳥羽一郎 25周年記念コンサート(2006年9月26日日比谷公会堂)より
はるか国後 船から見える
今日も兄貴と 網を引く
男の夢を かけてる海に
だれがつけたか国境線を
島におやじもヨー 帰りたいだろな
さっきギターで歌った「兄弟船」–。あれが最初の兄弟船だった。
「波の谷間に 命の花が ふたつ並んで 咲いている 兄弟船は 親父のかたみ」
これは後からできたんですね。
「はるか国後 船から見える 今日も兄貴と 網を引く 男の夢を かけてる海に だれがつけたか国境線を 島におやじもヨー 帰りたいだろな」
というのが最初の兄弟船だったんです。
で、やっぱり何となく北方四島の、あの境界線の拿捕された、そういう歌になっちゃうから、こりゃやめようと言って、歌詞を代えて、今歌った「波の谷間に命の花が」になったんですね。
デビュー決まった時、「兄弟船」という歌の譜面を抱いて寝ましたよ。うちの先生、船村徹先生のところで修行させていただいて。石の上にも3年だ、お前もそろそろいいだろうと言って、鳥羽一郎という芸名もつけていただいて、それでデビューするってんで何曲か作ってもらった。5曲くらい作ってもらった。この中から鳥羽一郎のデビュー曲は決めると。船村先生が気に入っていた歌があるの。「南十字星」という歌なんです。私も好きな歌でした。
所属していた日本クラウンの社長は「流氷オホーツク」が鳥羽一郎デビュー曲だという。船村先生は「南十字星」というし、レコード会社の社長は「流氷オホーツク」という。俺はいったいどうなるんだ。板挟みになって。まだ新人で出たばっかりで、あれがいいとか、これがいいとか言えない立場です。その当時はつらかったんです、私は。
俺は「兄弟船」の方が良かった。
コメント