多楽島元島民、東狐貢(90歳)さん逝く 祭壇に汗と涙とコンブの香りがしみ込んだ「どんざ」

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 また一人、元島民が亡くなった。東狐貢さん(90歳)。歯舞群島多楽島出身である。

東狐さんといえば、あの決意表明の記憶が今も鮮やかに残っている。2019年12月1日、東京で行われた北方領土返還要求中央アピール行進。日比谷野外音楽堂のステージに東狐さんは立っていた。

 「私は、歯舞群島多楽島出身の東狐貢と申します」–朗々と響き渡る声。とても89歳とは思えない力があった。道半ばで他界していった多くの同胞のことに話が及ぶと、こみ上げる思いに声はわずかに変調したようだった。

 「返還要求の火を消すことなく、みなさんとともに北方領土早期解決の声を上げ、力強く行進する」–わずか1分40秒のスピーチだったが、聴衆の心を震わせる魂の決意表明だった。1.6kmの行進を終えて、一緒になった時に、「いや~死んでいった元島民のことが浮かんできて…」と、ちょっと照れ臭そうに話していた。

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 東狐さんに初めお目にかかったのは10数年前、千島連盟根室支部の総会の後に催された懇親会だったと思う。出身島ごとに、歌や踊りを披露し合う中、東狐さんは継ぎはぎの綿入れのような着物を着て、たしか「北国の春」を歌ったように記憶している。

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 そのボロボロに見えた着物は「どんざ」と言って、島で暮らしていたころ、お爺さんの与三松さんがコンブ漁の仕事着として長年愛用していたものだった。おそらく100年くらいは使い込んでいるのだろう。汗と涙とコンブの香りがしみ込んだ「どんざ」である。領土関係の集まりには必ず着ていった、東狐さんにとっての正装だった。

 お通夜の祭壇。笑顔の遺影の隣には、その「どんざ」が掛けられていた。

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