今から61年前の1960年年1月17日。ソ連軍の建設部隊の兵士4人が乗った自走式はしけT-36が択捉島沖で遭難した。漂流すること49日間、3月7日に太平洋の真ん中で、米海軍の空母キアサージに救助された。4人は21歳の軍曹のほか20歳の初年兵だった。択捉島沖合で荒天のためはしけが操縦不能となり流されてしまった。船体に穴が開き、無線も故障。船内に残っていた食料や水は3日で底をつき、若者たちはブーツやベルトだけでなく、アコーディオンの皮の部分さえ食べた。甲板にシーツを広げしみ込んだ雨水を絞って渇きをいやした。漂流中に3度、船舶が見えたが彼らに気づくことはなかった。3月7日、空母に救助された時、体重は20kg以上も落ちていたが、彼らは最後まで自己規律、義務感、そして人間の顔を保持していた。空母がサンフランシスコに到着すると、出迎えた市長が歓迎の象徴として市の鍵を手渡した。それ以前に、こうした栄誉を授与されたのはニキータ・フルシチョフだけだった。当時はソビエトとアメリカが対峙する冷戦下だったが、4人の英雄を前向きに評価することを妨げることはなかった。(citysakh.ru 2021/3/9)
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