サハリンのブロガーが樺太時代の鉱山鉄道の跡を「発見」

ブロガーのミハイル・カシバがサハリンのペルボマイスコエ地区で日本が統治していた樺太時代に敷設した鉄道跡とトロッコを「発見」し、自身のインスタグラムで紹介している。「美しい自然に囲まれた、興味深い歴史ある鉄道を探していた。そのような場所はアクセスが困難で、たどり着くには多くの労力と時間がかかる。長い間、狭軌の鉄道を見つけ、何が残っているのかみたいと思ってきた」と書いている。いくつかの場所には線路が残っており、「実際にこれは、20世紀の初めから終わりまでの印象的な展示品を備えた野外博物館である。鉱山労働者の栄光を称える博物館をつくることも可能だ」と提案している。(サハリン・クリル通信2021/5/18)

※線路跡はかつての樺太・敷香にあった「樺太セメント工業石灰山軌道」と思われます。ウィキペディアによると、1943年古屯駅と西山駅を結ぶ鉱山専用鉄道として開通し、戦後はソ連編入され、2016年に廃線となっており、記事のように「発見」といえるかどうか…。

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