【モスクワ共同】ソ連が中国との対立激化を背景に1972年、日本との関係改善に向け、56年の日ソ共同宣言に基づく歯舞群島、色丹島の2島引き渡しで北方領土問題の最終解決を目指して作成した平和条約案が23日判明した。ソ連が日中関係の正常化を警戒し、日本との平和条約締結を模索した経緯が明らかになった。日本は四島返還の要求を崩さず、日ソは接点を見いだせなかった。(北海道新聞2021/5/24)
共同通信はソ連の最高意思決定機関だった共産党政治局が72年8月3日、対日関係改善を協議した際につくられた一連の極秘文書(機密解除済み)を入手した。
文書によると、ソ連は第2次大戦後、日ソ間の領土、国境が画定しておらず、2国間の平和条約で決定させる必要性を明確に認識していた。日米同盟を強く警戒し、日本に2島を引き渡す見返りに、日本や在日米軍がソ連を攻撃しない保証を要求。さらに日本からの経済協力取り付けを重視した。
外務省、国家保安委員会(KGB)、国防省は「中国がソ連と日本の関係改善を阻止し、日中関係の正常化を急いでいる」と警告。政治局は「日本との関係改善、平和条約の締結はソ連外交の最優先課題の一つ」と位置付け、2島引き渡しが軸の平和条約案を基礎に交渉し、日本の四島返還要求は拒否する方針を承認した。
平和条約案は「力による威嚇や力の不使用」「相手に軍事的被害をもたらす行為に自国領土を利用させない」ことを双方に義務付けた上で、ソ連が56年宣言に基づき「歯舞、色丹を引き渡すことに同意」し、日本が両島を「永久に非軍事化」すると規定。日ソは「国境の最終的な画定で合意」し「将来いかなる領土要求もしない」とした。
政治局は73年8月16日に、2カ月後に迫った田中角栄首相のモスクワ訪問への対処方針を協議。「日本は四島返還要求を変えていない」との外務省報告を受けて立場を硬化させた。10月の田中首相との会談でソ連側は北方領土問題の存在すら明確には認めず、2島決着の平和条約案は日本側に提示されなかった。
<ことば>日ソ共同宣言と領土問題 1956年の日ソ共同宣言は日本とソ連の議会が批准し、戦争状態の終結、国交回復などを実現したが、「平和条約締結後の歯舞群島、色丹島の日本への引き渡し」を明記した第9項だけが履行されていない。ロシアのプーチン大統領は2000年の就任直後に同宣言の有効性を認め、2島引き渡しによる領土問題の解決に意欲を見せたが、進展しなかった。18年に当時の安倍晋三首相は同宣言に基づく平和条約交渉の加速を提案し「2島決着」案に傾斜したが、ロシア側が動かなかった。(モスクワ共同)
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