(釧路新聞2021/6/4)
ロシアを漢字一文字で表記すると今は「露」であるが、江戸末期には「魯」が優勢だった。日本とロシアが話し合いで国境を確定した1855年の日魯通好条約では「魯西亜」と書かれている。
1875年5月7日調印の樺太千島交換条約はどうか。条文の中では「魯西亜」のままだが、調印後のロシア側とのやり取りなどを記録した公文書や同年11月10日の条約公布文書では「露西亜」に変わっている。
なぜ「魯」から「露」に変わったのだろう。その理由や時期を記した文書が外務省に残っている。
「魯国の『魯』の字を改めることについては明治7年(1874年)7月頃、公使館から魯は魯鈍の熟字であることからこの字を嫌ったと聞く。交際上、先方が喜ばないことは改める方がいいだろうと、それ以降「露」を用いるようになった。書面をやり取りするまでもないことなので、何月何日から改正したとの記録はない」(各国国名及地名称呼関係雑件)。
「魯鈍」とは、愚かで頭の働きが鈍いという意味であり、これにロシア公使館が異議を唱えて「露」に変わったというわけだ。
「露西亜」という表記はロシア側の文書に先に出てくることから、「露」の字を選んだのはロシア側ではないかと考えられている。日本語では「露=つゆ」は「はかなく消える」といった負のイメージであるが、ロシア語では「さわやか」「輝かしい」というプラスの響きがあるという。
コメント