南クリル地区の歴史から(kurilnews.ru 2021/6/4)
2021 年 1 月 1 日現在、南クリル地区(国後島、色丹島、歯舞群島)の人口は 12,000 人である。都市部の人口は7,900人、農村人口は4,100人となっている。1946 年 4 月 11 日、南クリル諸島(北方四島)では日本の統治が廃止となり、代わりにソビエトの民政が導入され、古釜布に地域センターが置かれた。最初の民政組織には、1945 年 9 月以降も島に残った赤軍の元将校が含まれていた。彼らは、財務、保健、予算と税金、公教育、農業の各部門を率いた。
1946 年 9 月にクリル諸島(千島列島)が解放されてから 1 年後、A.S.ラプテフ民政局長官はサハリン州の指導部に次のように報告した。
「南クリル地域では、9 つの大きな島のうち 5 つに人が住んでいた。この地域には 125 の集落があった。1946 年 9 月の時点で、1,386 人のソ連市民 (ロシア人、タタール人、ユダヤ人、チュヴァシ人、モルドヴィア人、ウクライナ人、ベラルーシ人) が登録されており、島を離れられない、または出たくない日本人が 4,346 人いた。(その時点ではまだ日本人の帰還についての議論はなかった) 」
最も人口密度の高い集落はユジノクリルスク (古釜布) で、662 人のソビエト市民と 1,017 人の日本人が住んでいた。戦前、国後島では硫黄と黄土が生産されていた。乳呑路(ちのみのち)には (後にチャチンスキー村) では、140 人のソビエト市民と 949 人の日本人が住んでおり、5 つのヨード工場と 2 つの製材所、銅と金の鉱山があった。
色丹島では、ソビエト市民は 189 人、日本人は 509 人だった。2 つのヨード工場と 1 つの捕鯨場があり、月に 8,000トンの鯨肉を生産していた。
1946 年末までに、この地域には 7 つのロシア人学校と 17 人の日本人学校があった。 343 人のロシア人生徒と 834 人の日本人生徒が学んでいた。歯舞群島のそれほど大きくないゼリョーヌイ島(志発島)に520 人のソビエト市民と 850 人の日本人が住んでいたことは驚くべきことだ。戦後も生き残った缶詰工場が稼働しており、500 グラム入りのカニの缶詰を製造していた。
南クリル地域の立法府は1947 年 6 月 13 日に開かれた南クリル人民委員会執行委員会の第 1 回会合で発足した。
1950 年には、国後島、色丹島、志発島の 15 の小中学校には 1,392 人の児童生徒が学び、そのうち 858 人は小学生だった。出生率が最も高かったのは 1950 年の414人で、1953 年には336人、1954 年には320人生まれた。
1947 年 10 月の ソビエト最高会議幹部会令によって、アイヌ語に由来する日本人が住んでいた集落の名称はすべて変更された。
1946年半ば、国後島に最初の図書館が開館し、文化部が2本の移動映画作品の上映を企画した。映写技師たちは海を渡り島々の市民に長編映画を届けた。1946 年 10 月 1 日には24時間のラジオ放送が開始され、ラジオ編成局は日本語で運営された(※北方四島でラジオの日本語放送があったのかどうか、記事には明確に書かれていない)
終戦直後、ソビエト領の南クリル地域の海域を守るという緊急の必要性から、1945 年 10 月 2 日付のソ連内務人民委員部の命令により、色丹島に高速警備艇の基地を開設することが決定された。部隊の編成はアルシノフ中佐に委ねられた。警備艇は5月16日から17日にかけてコルサコフ港から色丹島マロクリルスカヤ湾(斜古丹湾)に移動した。1946年5月17日17時、マロクリルスカヤ湾を基地にしてソビエト国境警備隊による国境警備が始まった。
決定第 1 号
クナシル地域の民政局長官
地区における民政の導入について
1946 年 4 月 11 日、フルカマップ
1946 年 2 月 2 日のソビエト連邦人民委員会議の決定№263に基づく
- クナシル地域に民政局が創設された。この地域には、国後島、色丹島、志発島、勇留島、多楽島、水晶島、秋勇留島、および隣接する島々が含まれる。
- 地域センター フルカマップ
- 1946 年 4 月 1 日から、日本の自治は廃止される。
- ソビエト連邦の市民およびその地域に住む日本人、ならびに土地、鉱物資源、工業企業、機関、家畜、船舶などは、クナシル地域の民政局の管轄に移管される。
- 行政管理部門の構成:
長官–レヴォン・アナトリエヴィッチ・バブカディア
副長官–パーベル・エリゼヴィッチ・クリヴォシェエフ
政治活動副長官- -グリゴリー・テスリツキー上級中尉
教育部長- -ミハイル・ミクルスキー中尉
学校検査官- -ティモファイ・サリコフ中尉
最高財務責任者–イワン・アンドリーヴィッチ・ロマキンマキン大尉
財務部長—イワン・アンドリーヴィッチ・ロマキンマキン大尉
予算および税務調査官- -ニコノール・セルゲヴィッチ・アントロポフ中尉
保健部長- -ゲオルギー・ペトロヴィッチ・リャブチュク
イワン・ペトロヴィッチ・ネガノフ
主任農学者–イワン アンドリーヴィッチ アトマシュキン
上級畜産技師–マタリエヴィッチ・ラカマトゥリン中尉
社会保障検査官—ウラジミール・ミハイロ・ヴィッチ・スカルビク中尉
会計責任者—コシャニク・ステファン・アレクセーヴィッチ
農場責任者—アレクサンドル・ステパノヴィッチ・コズロフ
地区民政長官 L.A.バブカディア大尉
南サハリン地域の行政区画構造について
1946 年 2 月 2 日のソビエト連邦最高会議幹部会の命令「RSFSR(ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国)のハバロフスク地方の一部としての南サハリン地域の形成について」および RSFSR 憲法第 19 条に基づいて、RSFSRのソビエト連邦最高会議幹部会は、次のことを決定する。
1. サハリン南部のユジノサハリン州内に 11 の地区を形成する
2.クリル諸島(千島列島)では:
– セベロクリリスク市(旧柏原)を中心とするセベロクリリスク地区。
– クリルスク市(旧紗那)を中心とするクリル地域。
– ユジノクリルスク村(旧古釜布)を中心とする南クリル地域。
RSFSRソビエト最高会議幹部会書記 P. バフムロフ
1946年6月5日 モスクワ №. 614/3
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