ウラル山脈の南、ロシア中西部に位置するバシコルトスタン共和国の首都ウファで暮らしていたミハイル・ウフィムカさんは妻のウラダさんと2匹のネコを連れて、遠く離れた国後島のクリル自然保護区に移り住んだ。これから6カ月間、彼らは人が住んでいない、国後島北部の太平洋に面したサラトフスキーの小屋で暮らすことになる。
最も近い集落から40kmも離れ、電気は来ていない。もちろんインターネットもない。ウラダは「私たちの小屋はチャチャ火山(爺爺岳)から15km、5分も歩けば太平洋に出られる」と意に介さない。
ウラダによると、2012年に彼らは国後島にいた。温泉、火山、海…国後島の独特の自然に魅せられた。「私たちは自然の中で暮らしたかった。そんな時、クリル自然保護区から夫に、検査官として働いてみないかという誘いがあったのも偶然だった」と彼女は言う。彼らは荷物をまとめ、文明生活に別れを告げ、世界の終わりの島へ向かった。
自然保護区の職員として働く夫のミハイルとともに、彼女はボランティアとして動植物の観察、クマの足跡のサイズの測定、海岸に打ち上げられるクジラのサンプルの収集を行う。食べていくには夫の給料だけで十分だ。
島の人々は日本のモノをリスペクトしていた。小屋には、なんと日本の卵さえあった。腐らないし、ロシアの鶏よりもおいしいと言われた。違いは感じなかったけど。日本のインスタントラーメンの箱があり、ここではククサと呼ばれ、ロシアよりもはるかにおいしい。そしてストーブ、やかん、食器など、日本の製品やモノがたくさんあった。
「本棚には日本語の会話集まである。日本人が北方四島の住民とコミュニケーションをとるためのロシア語会話集。日本人が彼らの領土と見なしている国後島、色丹島、択捉島、歯舞群島を日本人は、そう呼んでいる。クリルの住民にとって、問題は日本に行くことだ。日本人は彼らを国内に住む同胞と見なしてビザを発給しない。でもロシア側はビザなしで彼らを海外に行かせない。日本のビザを取得するには、サハリンに住所を登録する必要がある。サハリンの人々は、日本からロシア国民と見なされている」とウラダは解説した。
島の天気は予測できない。朝は4〜10度、昼は太陽が出たら20度まで上がり、海岸で日光浴ができる。熱い砂から蒸気が上がり、冷たい海と暖かい海岸の端に濃い霧が発生する。
「私たちは1日に2回太平洋に行く。これは巨大な冷蔵庫みたいなもの。すべての悪天候と暗闇は海のかなたからやって来る。国後島の夏は8月と9月、私たちは夏の訪れを待っている」とプラダは言った。(サハリン・クリル通信2021/7/3、Nezavisimaya Uralskaya Gazeta紙の記事抜粋)
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