上空約5000メートルから見る歯舞群島
ロシアのプーチン大統領が北方領土を含む地域に経済特区を創設し、外国からの投資も呼び込むと表明した。年内にも具体化するという。難航する日本とロシアの北方領土交渉がさらに複雑、かつ困難になりそうな雲行きだ。(日本経済新聞2021/9/18)
「国内企業だけではなく、日本のパートナーを含めた外国の投資家も利用できる」。9月3日、極東のウラジオストクで開いた東方経済フォーラム。プーチン氏は演説でクリール諸島(千島列島と北方領土)での特区計画を打ち上げ、とりわけ日本の参加を呼びかけた。
東方経済フォーラムで北方領土を含む経済特区計画を打ち上げたプーチン大統領(3日、ウラジオストク)=ロイター
計画によると、特区への進出企業は法人税、資産税などが10年間にわたってゼロになる。物資や機器などを島に持ち込んだり、製品を搬出したりする際の関税も免除されるという。とくに投資を期待する分野として観光、海面養殖、水産加工を挙げている。
「日本の提案」と強調
プーチン氏は演説後の質疑応答で「日本の提案」により、日ロが北方領土での共同経済活動に合意したと指摘。実現に向けた条件を整えるのは「我々の義務」とし、今回の計画を通じた日ロ事業の推進に期待を示した。
確かに、日ロ両政府は安倍晋三前政権時代、北方領土で共同経済活動に取り組むことで合意。優先して具体化する事業として観光、海産物の養殖、温室野菜栽培、風力発電、ごみ処理の5分野を決め、2019年には観光パイロットツアーも実施した。
安倍前首相(左)はプーチン大統領と頻繁に首脳会談を重ねた(2019年9月、ウラジオストクで会談前に握手する両首脳)=共同
だが、日本側が双方の法的な立場を害さない「特別な制度」の下での実施を求め、協議は難航した。ロシアのラブロフ外相は「ハイブリッド型の法律を施行するようなもので、それはロシア憲法が認めない」と述べており、ロシアは当初から日本の要望を受け入れるつもりがなかったようだ。
日本政府は「遺憾」を表明
安倍前政権は共同経済活動を、北方領土問題の解決に向けた環境整備の一環と位置づけた。だが、領土交渉自体も停滞。共同経済活動は実質的に凍結状態にある。
加藤勝信官房長官は今回の特区計画に対し、ロシアの法令を前提にしたもので「遺憾だ」と表明した。プーチン政権としてはまず、日ロの共同経済活動を優先的に実現するための条件整備だと主張。日本側が拒否すれば、中国や韓国企業などに投資を呼びかけ、ロシアによる北方領土の実効支配を固める意向とみられる。
安倍前政権は領土交渉と直接結びつけずに共同経済活動を進めた。その弱みを突いたプーチン氏のくせ球といえそうだ。
北方領土ではロシア化が進んでいる(8月、択捉島に近年建設された住宅)=共同
プーチン氏は肝心の領土問題でも、対ロ譲歩姿勢を示した「安倍外交」を逆手に取り、ロシアに有利な論調を定着させようとしている。中でも顕著になっているのが、北方領土を巡る立場を「日本がころころと変えている」という主張だ。
周知のように、北方四島は第2次世界大戦で日本が「ポツダム宣言」を受諾した後に、ソ連に占拠された。日ソ両国は1956年、共同宣言に署名。ソ連は平和条約締結後、4島のうち歯舞群島と色丹島の2島を日本に引き渡すことに同意した。同宣言は両国が批准、発効したが、平和条約は締結されず、2島の引き渡しも実現しなかった。
8月下旬、北方領土の択捉島で開かれたロシア軍最新兵器の展示会(地対艦ミサイルのバスチオン)=共同
日本政府はその後、原則として択捉、国後の2島も含めた4島を「日本固有の領土」とし、その主張を貫いてきた。だが、安倍前首相は日ソ共同宣言を基礎に交渉を加速するとして共同宣言に回帰。同宣言の有効性を認めてきたプーチン氏とのトップ交渉で、領土問題の決着をめざした。
ところが、ロシア側は第2次大戦の結果、北方領土がロシア領になったと認めるよう要求。さらに日米安全保障条約の問題と絡めようとするなど交渉のハードルを一段と高め、協議は暗礁に乗り上げてしまった。
半永久的交渉を望むロシア
プーチン氏はそれにもかかわらず、安倍前政権下では「日本の要請」で共同宣言を軸にした交渉に合意したのに、日本は再び要求を強めていると批判。日本の一貫性のなさが交渉停滞の主因とする見解を公言するようになっている。
「(日ロ間に)平和条約が存在しないのはナンセンスだ」。プーチン氏は一方で、先の東方経済フォーラムでこう語り、日本との平和条約交渉の継続に意欲を示した。交渉を途切らせなければ、経済協力を含めた関係改善の可能性は残る。ロシアの日本専門家ドミトリー・ストレリツォフ氏は「領土問題が決着せず、日本との交渉が半永久的に続くほうがロシアにとっては有利だ」と分析する。
プーチン氏がフォーラムで特区構想を表明した9月3日は、ロシアでは第2次大戦の終結記念日だった。ソ連時代の「対日戦勝記念日」で、北方領土でも日本への勝利を祝う式典が大々的に開かれた。
日本の次期首相は「安倍外交」の負の遺産を十分に認識しつつ、したたかな「プーチン外交」と対峙していく必要がある。(編集委員 池田元博)
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