国後島のトレジャー・ハンターのミハイル・ルキャノフとアナトリー・マモトフ。映画「クナシリ」にも出演している。
旧ロシアのベラルーシ出身の監督が撮ったドキュメンタリー映画「クナシリ」には、国後島在住の6人のロシア人が登場する。そのうち2人は、ロシア語で「チョールネミ・カパーチェルニ」と呼ばれる人たちで、「黒い穴掘り人」という意味があるらしい。誰の許可も得ず、日本人の住居跡などを勝手に掘って回って、日本人が使っていたものを発掘し、販売したり、自分のコレクションにしている人たちだ。国後島だけではなく、択捉島にも、それらしい人がいて、時折日本人に写真を送ってきたりしている。
黒い島の掘り出し物
国後島のトレジャー・ハンターはどのようにして日本の骨董品を見つけるのか
(ЗАПОВЕДНИК 2016/11/28)アンドレイ・シャパン
島々の所有権をめぐる論争は第二次世界大戦以来続いている。ロシアによると、島々はサハリン州の一部であり、日本側は北海道の一部であると主張している。1956年に、日ソ共同宣言が署名された。これによって両国の戦争状態は終わり、平和条約締結後に色丹島と歯舞群島が日本に引き渡されるとされたが、まだ平和条約は署名されていない。
Zapovednikは、ドキュメンタリー写真家アンドレイ・シャパンのストーリーを公開している。それは、戦後のクナシリルで、地下に埋もれてしまった日本の品々を探すトレジャー・ハンターを追ったものだ。ロシアの考古学者は、ここで本格的な発掘調査を行っていない。一方、日本の考古学者は、領土の所有権をめぐる論争が終わるまで、島で土を掘ることを禁じられている。
ミハイル・ルキャノフはクリル諸島の南端の島クナシルで生まれ育った。ソビエト軍の兵隊だった彼の父親は1945年にクナシルにいた。そして1959年に島に引っ越したのだった。父親は言っていたものだ。
当時、船は薪で暖めていた。薪がなくなると、軍は燃料を求めてクナシルの海岸に上陸した。戦前、日本人が住んでいた空き家にロープをかけて引き倒し、薪にするために解体した。1度の上陸で5~6軒の家が破壊された。そして、散らばった家財道具は徐々に土の下に埋もれていった。
アイヌ語でクナシルは「黒い島」を意味する。ミハイル・ルキャノフが日本の骨董品を探しているという事実のために、彼は「黒い穴掘り人」と呼ばれた。クナシルのどこかで溝が掘られている時や下水道の修理工事が行われている時、ミハイルはいつもそこにいた。
ミハイルは子供の頃に発見への渇望が芽生えた。好奇心から、彼は父親が戦争で残された銃を隠した場所を発掘して見つけた。以来、父親は発掘が気に入らず、認めなかった。ある時、ミハイルは地中から彫像を掘り出した。発見物の1つを500ドルで売ったとき、彼の父は、長い間それを信じることができなかった。
労働者は建設のために穴を掘った。そしてミハイルは、彼にとって他の何よりも価値を持つようになっていた彫像を、その中に見つけた。ある労働者が誤って大黒様にシャベルを突っ込んでしまった。頭は壊れ失われた。その頭を見つけるために、ミハイルは1カ月以内にその場所に戻った。
ソビエト時代に、検察庁はミハイルに興味を持つようになり、話を聞いてきた。そしてこう言った。「ニューヨークまで掘り進めろ! かつての日本の村は文化財ではないぞ」–。ミハイルはそうは思わなかった。現在、彼のコレクションには、数十の皿、コイン、メダルがある。
トレジャーハンターのミハイル・ルキャノフ
ミハイル・ルキャノフの家で。 いくつかの発見物は発掘中に損傷を受けた
アナトリー・マモトフ、漁船の船長。 彼も発掘が好きだ
歯磨き粉のケース
七福神のひとつである大黒様の置物は手作り
ミハイル・ルキャノフの部屋で
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