<ビザなし交流30年>交渉の環境醸成に重要 立案者パノフ氏

 1991年の旧ソ連ゴルバチョフ大統領来日時に外務省太平洋・南東アジア局長としてビザなし交流を立案し、後に駐日ロシア大使も務めたアレクサンドル・パノフ氏(77)に制度の意義や課題について聞いた。(北海道新聞2022/1/3)

 89年の東西冷戦終結後、ソ連は対米国、対欧州に比べて日本との外交が遅れていました。大統領の訪日は当時の最重要課題で、日ソ関係を前進させるためのアイデアの一つがビザなし交流でした。

 他国とのこうした取り組みはソ連で例がなく、国境警備などの機関は強く反対しました。政治的に重要であること、ロシア人島民も北海道や日本各地を訪問できる双方向の事業になる利点を説明し、最後は説得できましたが、合意形成は思った以上に難しく、不安もありました。

 ソ連外務省は日本との交渉方針として第一に1956年の日ソ共同宣言を認めることを検討しましたが、共産党指導部の支持は得られず、第2案として示したのがビザなし交流を含めた関係の強化でした。

 日本側は最後まで56年宣言の確認を求めましたが、受け入れればソ連国内で支持を失いつつあったゴルバチョフ氏への反発はより強まったでしょう。首脳会談でビザなし交流への賛同が得られた瞬間、大統領に同行していた私は親指を立てて喜びを表現したことを今もよく覚えています。

 ビザなし交流の実現はロシア人島民と日本人の元島民が結びつきを強め、互いの気持ちを理解し、両国関係の雰囲気を変えた大きな出来事でした。30年も続いてきたことは価値があり、高く評価すべきです。

 平和条約交渉を巡るロシアの法的立場に従い、地元当局には四島をロシア領と認めない日本に厳しい姿勢を示す傾向が強まっています。ロシア法の適用を厳格化する動きも、こうした背景があるとみています。

 しかし、日ロ交渉の環境を醸成する上で相互交流の持つ役割は重要です。高齢化が進む元島民の移動の負担を軽減しながら、子供や孫の世代を含めたより活発な交流の可能性が広がることを期待しています。(モスクワ 則定隆史)

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