日ロ友情、始まりの地図 光太夫とラクスマン共同製作 有志が根室市に複製寄贈へ

 ロシア初の遣日使節アダム・ラクスマン根室来航から今年で230年となるのを記念し、根室市民有志がアダムの父キリル・ラクスマンとロシアに漂着した船頭の大黒屋光太夫が共同製作した日本地図の複製写真を根室市に寄贈する。光太夫はキリルの尽力により、帰国を果たした。市民有志は国家を超えた2人の友情を多くの人に知ってほしいと考えている。(北海道新聞全道版2022/1/14)

 地図は縦60センチ、横120センチ。松前など北海道の一部と日本列島などが色彩豊かに描かれている。日本語とロシア語で地名が記され、地図の作製年である「1791」や、光太夫ラクスマンの署名もある。

 アダムは1792年(寛政4年)10月、光太夫らを伴い、帆船エカテリーナ号で根室港に入った。光太夫はその10年前、伊勢白子(三重県鈴鹿市)を出航後、大しけに遭い、アリューシャン列島の孤島に漂着。帰国を嘆願しながら過酷な旅を続け、乗組員17人のうち、根室入港後に病死した1人を含む13人が息絶えた。

 光太夫を物心共に支えたのがフィンランド出身の博物学者キリル。女帝エカテリーナ2世に光太夫を引き合わせ、帰国の道を開いた。

 地図はロシアの当時の首都ペテルブルクで作られたとみられ、モスクワの軍事歴史古文書館が保管している。根室在住の早川昭貴彦(あきひこ)さんや根室商工会議所の山本連治郎会頭らのグループが18日、現地関係者が複写した地図を根室市に贈る。市は2月から市歴史と自然の資料館に展示する。

 早川さんは「国を超えた日本人とロシア人のつきあいはビザなし交流など今につながっている。2人が製作した地図はその始まりであり、地図に込められた思いを知ってほしい」と話す。

 グループは同じく複写した地図をキリルの生誕地フィンランドのサボンリンナ市にも贈っており、同市博物館で4月から開かれる来航230年記念の展覧会でも展示される。(黒田理)

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