サハリン在住のブロガー、デニス・シャトキンさんが、日本統治時代の1918年に建造され、いまなお現役のロバティナ灯台(気主岬灯台)の写真と物語をSNSにアップした。「ロパティナ灯台は日本時代には気主(けぬし)と呼ばれていた。もう100年以上も機能し続けている。灯台守として57年働いたウラジーミル・コマロフさんに感謝!!」と、書き込んだ。灯台は1945年にサハリンがロシアの手に戻った時、サハリン南部の石炭産業に貢献した技師であるイノケンティ・ロパティンにちなんで命名された。灯台守コマロフさんが勤務中、ただ一度だけ灯が消えたことがあった。2007年8月2日、ネべリスク地震が発生した直後、電源を失った。灯台守は家族と一緒にコンクリートや板を取り除き、電源室にたどり着き、その日のうちにバックアップ電源をオンにした。訪れる観光客に親しまれた灯台守は2021年5月に亡くなった。この灯台を一度でも訪れたことがある観光客や地元住民は、老いた灯台守が語った海の話を子や孫に伝えるだろう。(サハリン・クリル通信2022/2/3)
※気主岬灯台は黒白横線塗り八角形のRC造りで、高さ17mの小さな灯台。現存する日本時代の灯台としては一番古い。
日本期に建設の灯台位置図–南サハリンにおける日本期の灯台の現況(2007年6月、日本建築学会技術報告集第13巻25号)より
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