2月7日は日本政府が定める「北方領土の日」。今から167年前のまさにこの日、日露通好条約(1855年)が結ばれ、北方四島が日本領になった。周知の通り、北方領土は1945年8月、旧ソ連の対日参戦で占領され、戦後、ソ連軍の命令で残留者は本土への引き揚げを強制されたわけだが、ここに一つ興味深いデータがある。旧ソ連の侵攻時に領土内に住んでいた1万7200人余りは、どこに引き揚げたのか。県別にみると、富山県が約1400人と、北海道に次いで多いという(「千島歯舞諸島居住者連盟」など調べ)。北方領土から遠く離れた富山が一体なぜ?(朝日新聞デジタル2022/2/6)
両地域のつながりを知ろうと、同県黒部市内のある施設へ向かった。
市の生地漁港そばにある市コミュニティセンターの3階。県や民間団体でつくる「北方領土返還要求運動富山県民会議」が整備した県北方領土史料室だ。
領土返還要求の運動を啓発する施設で、2020年9月末に完成した。県内引き揚げ者の約6割を占める黒部市が、県民会議の委託を受けて運営。市によると、自治体レベルの啓発施設は北海道以外では初だ。
施設は65平方メートルと広くはないが、北方領土に関する年表のパネルや、占領前の島の暮らしぶりを伝える写真などの展示に加え、タブレット端末も設置。解説動画や電子書籍を閲覧できるほか、資料や元島民の話をもとに再現した島の様子をVR(仮想現実)で見ることができる。
展示を眺めていると、壁に提げられた「水晶島」と記された地図に、ふと目が止まった。島の輪郭だけが描かれ、その輪郭をなぞるように、人名が隙間無く並んでいた。
「ここに私たち家族は暮らしていたんです」
取材のため施設で落ち合った元島民の吉田義久さん(84)=同市中新=は、地図の1カ所を指さした。
そこにあるのは「吉田栄次郎」の名前。吉田さんの父だ。当時、歯舞群島の水晶島に暮らした人々の氏名が、実際に住んでいた場所に記されているという。
北方領土問題対策協会などによると、1900年代初頭から富山県内、とりわけ黒部などの県東部の漁師らは、沿岸漁業の不振に加え、繰り返す高波や火災で、困窮にあえいでいた。そんな窮状を脱しようと、漁師らはコンブ漁が盛んだった北方領土や、北洋漁業に進出。やがて貴重な出稼ぎ先となったという。
生地漁港の漁師だった吉田さんの父もその一人。毎年3~11月ごろ、コンブ漁による安定した収入を求めて、家族や従業者を連れて水晶島に出稼ぎに向かった。島に居を構え、コンブの干し場も設けた。吉田さんも出稼ぎの間は、この島で生活した。
現地の小学校の児童数は40人ほどだったと記憶している。そのうち7割が、同じく出稼ぎに来た「ご近所さんの漁師の子」だったという。
約12平方キロメートルの水晶島は土地の高低差が小さく、校舎近くには草原が広がっていた。花の実を採って食べたり、飛び回るヒバリを捕まえたり。少し歩けば、海岸で水遊びや魚釣りもできた。6歳ごろからは父の仕事を手伝い、毎朝4時ごろから浜の草むしりやコンブを干す作業をした。
「自然のなかで自由に遊べて、働くということを初めて体験した。かけがえのない時間だったと思う」
戦争が激化しても、生計を立てるために出稼ぎは続いた。
しかし、小学3年生だった45年7月、島から海を隔てて向かい側の北海道根室市が空襲を受けていると知らせが入った。海岸から、海の向こうに真っ黒に立ち上る煙が見えた。「これからどうなってしまうのか」。幼心に不安を抱いた。
そして終戦。ソ連侵攻の知らせを受け、家族は父を残して根室へ避難した。その父もしばらくして合流。家財道具などは島に残したまま、一時避難のつもりで第二の故郷を後にしたという。
戦後、吉田さんはビザなし交流や自由訪問で国後、色丹両島など北方領土内を何度か訪れた。水晶島の湾岸部には2回立ち入ったが、自宅のあった場所へは今もたどり着けていない。
◇
終戦から今年で77年。富山県出身で存命の元島民は多くて400人ほどで、そのうち島の記憶があるのは200人ほど。島の歴史を伝える語り部は高齢化のため年々減る一方だ。
そんな中、県北方領土史料室の整備の話が持ち上がった。千島歯舞諸島居住者連盟の富山支部長を務めていた吉田さんも、仲間に呼びかけ、ゆかりの品々を集め始めた。現地の暮らしがわかる写真や書籍を集め、子どもにもわかりやすいよう、元島民の描いた紙芝居をそろえた。当時の現物が少ない中、漁師が出稼ぎに向かう船中で身につけた上着も見つけた。
名前の並ぶ水晶島の地図は、自身が持っていた元島民の名簿や、元島民の記憶と逐一照らして作り上げた労作だ。「現地に暮らす人がいたことを目に見える形にしたかった」。
「時代の流れで元島民の数が減るのは当然」と割り切る一方で、史料室の存在は「心強く、励みになる」と思っている。
年齢を重ねるほどに、島の草原の景色を色濃く思い出す。北方領土の返還まで、活動を途切れさせてはいけないと感じている。
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