元公安警察官は見た 北方領土周辺で密漁した「レポ船」は旧ソ連に何を提供していたか

 日本の公安警察は、アメリカのCIAやFBIのように華々しくドラマや映画に登場することもなく、その諜報活動は一般にはほとんど知られていない。警視庁に入庁以後、公安畑を17年務め、数年前に退職。昨年9月に『警視庁公安部外事課』(光文社)を出版した勝丸円覚氏に、旧ソ連に情報を提供した日本の「レポ船」について聞いた。(デイリー新潮2022/2/11)

 日本の政治、外交、防衛などの情報を提供する見返りに、旧ソ連が実効支配している北方領土周辺海域で漁業を認めてもらっていた日本の漁船を「レポ船」という。名前の由来は「レポート(報告)」にある。

 第二次世界大戦後の1945年9月、千歳列島が旧ソ連の占領下に入り、北海道の漁師は広大な漁場を失った。

「日本の漁船が北方領土周辺で操業すると、旧ソ連国境警備隊に拿捕され、国後島カムチャッカ半島に連行。何年も刑務所に留置されることもありました」と解説するのは、勝丸氏。

「身柄を拘束されるだけでなく、高額な罰金を支払わされるケースもありました。ところが、日本の情報などを提供し、旧ソ連の協力者になれば、見返りに北方領土周辺海域での操業を認めてくれたのです」

 旧ソ連は、どのような情報を欲しがったのか。

「一番喜ばれたのは、北海道に駐留している自衛隊の配備状況に関する情報です。新聞などに自衛隊の演習の記事があれば、提供していたそうです」

 最新の電子機器を提供すれば、さらに喜ばれたという。

「冷戦時代の旧ソ連の電子機器は粗悪品が多く、当時の日本のテープレコーダーなどは大変な貴重品だったのです」

 初めてレポ船の船長が検挙されたのは1974年12月。第11幸与丸の船長が1972年5月、択捉島沖合で操業中、横付けした旧ソ連国境警備隊警備艇に対して、旧ソ連領海での安全操業の見返りに、沖縄返還(1972年5月15日)に関する新聞記事を提供した。

 以降、1974年11月まで国境警備隊と11回接触し、北方墓参団名簿、北海道に駐留する自衛隊の情報などを提供したという。

 結局、船長には北方領土周辺海域で操業したことで検疫法、漁業法違反で罰金5万円の判決が下った。

「レポ船が国境警備隊接触する時は、船長が一人で応対します。『おまえたちに責任を負わせたくない』と言って、他の乗組員は船倉にいさせたといいます。漁協関係者が北海道警に通報し、検挙されたレポ船は6隻です。しかし、これは氷山の一角に過ぎないでしょう」

 もっとも、道警に検挙されても、罰則は軽いという。

「検挙しても、国外で操業したため、検疫法違反を問われるだけです。また、漁獲高を申告しなかったという容疑で漁業法違反になることもあります。いずれにしても、5万円とか10万円くらいの罰金なので、たいしたことはありません」

 北方領土周辺海域は、カニやウニが豊富に獲れるという。

「ロシア人は、ほとんどカニを食べないので、周辺海域にはカニが豊富にあります。日本では高級食材ですから、漁が出来ればかなりの儲けになります。道警に検挙されてもいいから、レポ船になって儲けたいという船主はけっこういたのではないでしょうか」

 レポ船が最後に検挙されたのは1991年11月、第65秀栄丸だった。船長は、旧ソ連に右翼の情報やパソコンを提供し、1992年2月、漁業調整規則違反で懲役5月、執行猶予4年、罰金10万円の判決が下っている。

「レポ船がなくなったのは、1991年12月に旧ソ連が崩壊したからです。国内がゴタゴタし始め、レポ船どころではなくなったのでしょう」

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※写真はイメージです

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