交流再開いつ…稚内市民落胆 ロシアのウクライナ侵攻から1カ月余 島影を見るのが怖い/平和の尊さ発信したい

 ロシアとの国境のまち・稚内で日ロ友好や平和活動に取り組んできた市民がロシアのウクライナ侵攻に心を痛めている。「しばらく日ロの友好を語るのは難しい」。無力感をにじませる一方、ウクライナに平和が戻り、日ロの人的交流が戻る日も願っている。(北海道新聞留萌宗谷版2022/4/5)

 「戦争は日々の暮らしを奪い去る。武器を使って力を誇示するなんてあり得ない」。5歳まで樺太・豊原(現サハリン州ユジノサハリンスク)で暮らした市はまなすの浜谷悦子さん(82)はロシアのウクライナへの軍事攻撃を批判した。

 ソ連軍の空襲が迫る中、懸命に逃げ、引き揚げてきた戦争体験について「つらい」と、長年口を閉ざしてきた。ただ、引き揚げ者が年々少なくなり、自らの体験を後世に伝えようと、ここ数年は手記をまとめ、講演も行う。

 ようやく気持ちを切り替えたころに起きたロシアのウクライナ侵攻。「このごろ島影を見るのが怖いんです」。70年以上前の戦禍の記憶がよみがえり、時々、恐怖に襲われる。

 「(稚内の)街中にあるロシア語の表記はかつての往来を示す『化石』となるかも」。稚内日ロ経済交流協会の伊藤裕事務局長(65)はロシアの侵攻で暗転した事態への戸惑いを語る。

 約30年間にわたり、稚内とサハリンを中心とした交流事業に取り組んできた。稚内コルサコフ間の定期航路の運休などに伴い、近年は往来や取引は停滞しており、今回の軍事攻撃が追い打ちをかけた形。伊藤さんは「現在のプーチン政権下で日ロの関係改善は望めないでしょう」と、やりきれなさを口にした。

 稚内市内では、さまざまな平和を祈る取り組みが行われており、毎年、太平洋戦争開戦日の12月8日、開戦暗号を中継送信したとされる旧海軍大湊通信隊稚内分遣隊幕別送信所(通称・稚内赤れんが通信所)に灯籠を並べ、平和を訴える活動もその一つだ。

 主催する「稚内市歴史・まち研究会」の富田伸司会長(62)は「今までの活動は何だったんだろう」と、今回の侵攻にショックを受ける一方で、不戦を誓う取り組みの大切さを身をもって感じたという。

 「大韓航空機撃墜事件の慰霊碑『祈りの塔』(宗谷岬)や赤れんが通信所など、稚内はずっと国際情勢に揺れてきた。戦争を風化させないためにも、今後も国境のマチから平和の尊さを発信したい」。富田さんは静かに決意を新たにした。

 衝撃が走った軍事侵攻から1カ月余りが過ぎた。プーチン政権の行動を非難する一方で、一日も早く停戦し、いつの日か関係を深めたロシア人とも笑顔で会える日も期待している。(高橋広椰)

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