海霧の向こうには、少し傾いた灯台がかすんで見えた。根室市の納沙布岬から3・7キロ。戦前の1937年(昭和12年)に建設された灯台が立つ北方領土歯舞群島の貝殻島を指さし、市内の元コンブ漁師影井健之輔さん(86)がつぶやいた。「ここはかつて、拿捕(だほ)と銃撃が続く『悲劇の海』だった。また出漁できなくなってしまわないだろうか」
全国有数の水産都市・根室は、ロシアによるウクライナ侵攻の影響に大きく揺さぶられている。根室などの小型漁船19隻が出漁を予定する日本200カイリ水域内のサケ・マス流し網漁は、例年3月に行ってきた操業条件を決める日ロ政府間交渉の開始が今月11日まで遅れ、22日にようやく妥結した。ただ200隻以上が出漁する6月1日解禁の貝殻島周辺コンブ漁はなお交渉の見通しが立たず、浜には不安の声が広がる。(北海道新聞2022/4/25)
■繰り返す拿捕
北方領土が旧ソ連に占領された45年、根室や四島の漁業者は生活の基盤だった豊かな漁場を追われた。影井さんは61年8月、旧ソ連の監視を避け、貝殻島周辺でコンブ漁をしていた時、僚船と一緒に拿捕された。大きな警備艇2隻が島陰から現れ、逃れる間なく、国境警備隊員に自動小銃を突き付けられた。
「四島周辺は先祖が開発した漁場。自分たちのものを採って何が悪い」。サハリン州ユジノサハリンスクで行われた裁判では感情を抑えきれず、声を荒らげた。そのまま現地の刑務所に1年3カ月収監され、石灰石の採掘をさせられた。
日ソ間では63年6月、旧ソ連側に採取料を支払い、貝殻島周辺で安全にコンブ漁を行うための異例の民間協定が結ばれた。影井さんは「もう拿捕の心配はないんだ」とほっとしたのを覚えている。ただ協定締結までに同島周辺ではコンブ漁船67隻、乗組員152人が拿捕された。影井さんは、子どもたちに漁業を継いでほしいとは言えなかった。
77年の米ソ両国による200カイリ水域の設定、92年のサケ・マスの公海沖取り禁止、そして2016年のロシア水域でのサケ・マス流し網漁の禁止―。根室の漁業は常に国際情勢に翻弄(ほんろう)され、操業できる海はじわじわと狭められてきた。
■漁獲減に拍車
ウクライナ侵攻を巡り、日本は欧米と共に対ロ制裁に踏み切り、ロシアは日本を「非友好国」に指定した。日ロ関係が急速に冷え込む中、漁業協定の先行きは不透明感を強めており、例年8月以降に始まる主力のサンマ棒受け網漁についても不安が広がる。
遠い公海の漁場から、サンマ水揚げ量日本一の根室・花咲港に最短距離で戻るには、ロシア水域を通過する。迂回(うかい)すれば半日から1日ほど余計に時間がかかり、燃料代もかさむが、大型船主の木根繁さん(85)=色丹島出身=は「船員や船の安全を考えれば、現状ではロシア水域は避けるべきだ」と話す。花咲港に寄らず、大消費地・東京に近い港に水揚げする船が増えれば、根室の地域経済は大きな打撃を受けかねない。
根室市の20年の水産物漁獲量は記録が残る1958年以降、最低の4万538トンまで落ち込んだ。60年代に5万人目前だった人口は今年3月末、2万4千人を割った。「根室は国際情勢が変化するたびに痛みを感じてきた。激動の時期だが、何とか乗り越えなければならない」。石垣雅敏市長は、自分に言い聞かせるように語った。
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