海流・水深捜索阻む 国後まで流された可能性 不明者、船内にも?知床の観光船事故

2011年にシーカヤック知床半島を1周しようとした男性が国後島北部まで流され、ロシア国境警備局に拘束される出来事があった。当時の新聞によると–『2011年8月16日に知床北部の斜里町ウトロを出発。シーカヤック(全長約5メートル)に1週間分の食糧を積み、知床南部の羅臼町相泊に向かった。18日に知床岬を通過しようとした際、風と北東の強い流れに引っ張られ、沖に流されたという。国後島の地図は持っていなかったが、全地球測位システム(GPS)で位置は把握できたといい、「このまま流されると助からないと思った。国後島が見えてきたので助かる可能性があるかもしれない」と島の沿岸に近づき、ロシアの警備艇に拘束されたという。ロシア国境警備局は当初、「ゴムボートに乗っていた」とし、無許可渡航の疑いもあるとして同島の古釜布(ロシア名ユジノクリリスク)に移送し事情を聴いていた。しかし、意図的な渡航の意思はなかったとし、25日午後4時半ごろ、警備局の船が根室沖で根室海保の巡視船と落ち合い、男性を引き渡した』

海流・水深捜索阻む 国後まで流された可能性 不明者、船内にも?知床の観光船事故

(北海道新聞2022/4/26)

 オホーツク管内斜里町の小型観光船「KAZU I(カズワン)」(19トン)が23日に遭難した知床半島周辺は、世界自然遺産にも登録された切り立った崖が海中まで続く複雑な地形に加え、沿岸部でも水深100メートル以上の深い場所が点在する海域だ。潮の流れも速く、25日に死亡が確認された3歳の女児は半島先端から東に14.5キロも離れた海域で見つかった。海上保安庁などは半島の東側に範囲を拡大し、残る行方不明者15人と船体を探しているが、北方領土国後島周辺まで押し流された可能性もあり、捜索は厳しさを増している。(北海道新聞2022/4/26)

 第1管区海上保安本部(小樽)によると、カズワンは23日午後、斜里町のウトロ漁港から北東約26キロの「カシュニの滝」付近の沖で浸水し、消息を絶った。その後の捜索により、乗客乗員26人のうち、男女10人が現場から約14キロ離れた知床岬付近の海上や岩場で見つかった。24日夜には道の漁業取締船が知床岬から東に14・5キロの海上で女児を発見。25日までに11人全員の死亡が確認された。

 地元関係者らによると、カシュニの滝から知床岬に続く沿岸部は岩礁や浅瀬が多く、荒天時には入り組んだ海岸に強い波が打ち寄せる。陸に近づきすぎると、船体が岩礁などに引き寄せられる危険もある。地元漁業者の間では「座礁の危険海域」と知られ、海難事故の救助捜索活動も難しい場所だ。

 現場海域に詳しい道立オホーツク流氷科学センターの高橋修平所長は「知床半島は火山活動で形成された。海中に崩れた崖が積もったり、溶岩流が固まって岩礁になった場所も多い」と話す。

 海上保安庁が公表している知床半島周辺の海図によると、カシュニの滝沿岸の水深は20メートル程度だが、1キロほど沖に出ると水深は一気に100メートルを超える。すり鉢状に急に深くなる場所も点在し、高橋所長は「光が届かない100メートル以上深い場所に沈んでいたら、海面から目視で見つけることはかなり難しい。海底の地形も複雑で、ソナー(水中音波探知機)での捜索も簡単ではないだろう」と話す。

 北大低温科学研究所の三寺史夫教授(海洋物理学)によると、3~4月の知床半島周辺には、稚内沖から「宗谷暖流」が流れ込んでおり、半島西側を北上した後、知床岬沖で国後島がある東側に進む本流と、羅臼方面に南下する流れに分かれるという。

 知床岬から国後島沿岸までは、最も近い場所で約40キロ。三寺氏は「宗谷暖流は1日最大40キロの速さで流れている。事故から2日が経過しており、行方不明者が本流に乗ってしまった場合、日ロ中間ラインを越えて国後島周辺まで流されてしまっている可能性もある」と話す。

 海上保安庁は25日、海上での捜索と救助に関する国際条約(SAR条約)に基づき、ロシアが実効支配する北方領土周辺海域に捜索活動が及ぶことをロシア当局に通知した。ただ対象範囲が広がるほど、捜索活動は難しさを増す。同庁関係者は残る行方不明者について「船内に取り残されているのではないか」と推測。ただ「ああいう形の半島は潮が回り込んでどこに流されるか予想しにくい」と案じる。

 知床半島周辺は26日以降、低気圧の接近に伴う天候の悪化も懸念される。海上保安庁は25日、捜索活動を強化するため、広域測量用ソナーなどを搭載し、精密な海洋情報を収集できる測量船「天洋」を現場海域に派遣することを決めたが、悪天候のため到着は30日にずれ込む見通しだ。(小森美香、小宮実秋、五十嵐知彦)

 

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