1992年4月22日、19人のロシア人が冷たい雨の降る根室・花咲港に降り立った。日本人と北方四島のロシア人島民が相互往来するビザなし交流の第1陣である。戦後、見えない壁が立ちはだかった根室海峡に交流の窓が開いた瞬間だった。(北海道新聞夕刊2022/4/25)
30年前の北海道新聞縮刷版のページを繰る。翌朝の1面には歓迎する根室市民と、花束を受け取る島民たちの写真。どちらの表情にもどこか硬さがある。手探りのファーストコンタクトだった。
一行は6日間かけて札幌などを回り、元島民とも懇談した。「元島民の方が『私たちが島を追い出された悲劇を繰り返したくない』と言ってくれたのが一番印象に残る」と感想を述べた島民がいた。
氷が解けるように双方の心が開く過程を紙面から読み取れる。
交流は回を重ねた。根室と島々の港で元島民らと島民が再会を喜び、再会を誓う光景は春から秋にかけての両岸の風物詩となった。
それがロシアのウクライナ侵攻のあおりを受けて途絶える。
分厚い氷の壁が海峡に再び立ったかのようだ。
根室の知人の何人かに電話をかけた。「悲しい」「残念だ」。誰もが声に元気がない。
北海道の領有権はロシアにあるとロシアの政治家が言ったとか、日本ではロシア人差別が続いているといったニュースを聞く。そのたびに胸が締め付けられる。
普通の人々の顔の見える関係が、平和条約のない国の間の平穏を支えていたと確信する。氷解の再来を願っている。(相内亮)
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