ロシア大統領プーチンが来日し、首相安倍晋三と北方領土墓参の拡充で合意した首脳会談から約8カ月後の2017年8月、元島民やその家族らの墓参団46人が国後島を訪問した。一行は7~10日の日程で、7年ぶりに上陸が認められた太平洋側のラシコマンベツ、植内(うえんない)、植沖(うえおき)の地を踏み、先祖らに祈りをささげた。(北海道新聞2022/5/25)
息子さん(左側)に助けられながら、国後島のラシコマンベツ墓地を目指す及川輝雄さん(当時88歳=植内出身)=2017年
「長い間待ち望んだ肉親の墓参を実現でき、この雄大な自然の中で生活していた当時を思い返すと万感胸に迫る。再びこの地を訪れる日まで、どうぞ安らかにお休みください」。墓参団長を務めた桜庭常司=当時(91)=は、生まれ故郷の植内での慰霊祭で声を振るわせた。
ラシコマンベツでは、戦前に日本人が造った露天風呂を今もロシア人が使っており、植内出身で根室在住の影井健之輔=同(81)=は「小学校の遠足で来た」と懐かしんだ。植沖には、かつて根室市と国後島、択捉島を結んだ旧千島電信回線(海底ケーブル)用とみられる木製の電柱2本が残っていた。
元島民やその親族が先祖の墓参りに訪れる北方領土墓参は日ロ両政府間の合意に基づき、1964年に始まった。北方四島は「固有の領土」だと主張する日本と、自国領だと主張するロシアが双方の法的立場を害さないよう、査証(ビザ)やパスポートは使わず、日本政府が発行する証明書などを活用する「ビザなし渡航」の枠組みで実施される。墓参団の訪問は年3回程度で、根室発着のチャーター船で行われているが、普段はロシア人島民が立ち入らない場所にある墓地も多く、その行程は平均年齢が85歳を超えた元島民には過酷なものだった。
この時の墓参では、チャーター船から小型艇に乗り換え、まずラシコマンベツの砂浜に上陸した。そこから墓地がある丘までは約2キロ。舗装された道路はなく、団員は長靴姿で黙々と波打ち際を歩いた。息子に手を引かれる人、つえを頼りにする人…。風がなく日陰もない道で、体力が奪われる。
「あー、こわい(疲れた)」。40分歩いて墓標が立つ丘に到着すると、墓参団で最高齢の92歳だった作田喜代志は、血の気が引いたような顔でへたり込んだ。同行の医師が支えても立てない。3時間半の滞在を終えると、数人が足の張り、めまいを訴え、2カ所目に訪れた植内は5人が上陸を断念した。
四島にある日本人墓地52カ所のうち多くは近くに桟橋がなく、小型艇に乗り換えて砂浜に上陸する。岩場には着岸できず、墓地まで数キロ歩くことは珍しくない。小型艇での島への上陸は高波や強風の時は危険なため、この時に訪れた植内などは2014年、15年に2年連続で上陸を断念した場所だった。
16年12月の安倍とプーチンの会談後に出された「プレス向け声明」では、墓参に参加する元島民の高齢化を踏まえ、人道的見地から「手続きのさらなる簡素化を含む、あり得べき案を迅速に検討するよう指示した」と明記された。元島民からは、四島との往来拡大や負担軽減に期待の声が上がったが、ロシアが実効支配する島には数多くの制限が残っていた。
この時の墓参では波の状況に合わせ日程を少し組み替えたため、ロシア国境警備局から上陸許可が出るのに時間を要し、元島民は船上で気をもんだ。団長の桜庭は「体力的に今回が最後の墓参。一分一秒でも長く古里に立ち、記憶に焼き付けたいのに」といら立った。
植内などは国後島の中心地・古釜布から車で訪れたことがある場所だったこともあり、元島民には車移動を望む声が多かったが、実現しなかった。理由は明らかになってないが、ロシア側が近年、軍事上の理由で立ち入り制限区域を増やしていることが影響した可能性があった。
さらに元島民を落胆させたのは、北方領土墓参と同じビザなし渡航の枠組みで行われている「自由訪問」を巡るロシア側の対応だった。
元島民やその家族らが四島の故郷の集落などを訪れる自由訪問は、人道的見地から99年に始まった事業で、島にゆっくり滞在できると楽しみにしている元島民が多い。16年12月の首脳合意を受け、元島民らは自由訪問も訪問場所が広がることなどを期待したが、ロシア側は「合意は墓参を少し自由にするということで、自由訪問は関係ない」(政府関係者)と主張。5月の国後島への自由訪問では希望した場所への立ち入りが認められず、8月に予定していた歯舞群島水晶島への訪問は中止になった。
水晶島への自由訪問は前年も認められなかった。日本外務省は中止の理由を明らかにしなかったが、ロシア側が拒否したとみられる。訪問団長を務める予定だった水晶島出身の柏原栄=当時(86)=は「島との自由な往来を求めているのに、どんどん行動範囲が狭くなり、不信感ばかりが募る」と嘆いた。
ロシア国境警備局などは、ロシア法に基づかない特別な形で四島との往来を元島民らに認めるビザなし渡航に対する不満を強めていた。安倍―プーチンの首脳合意にもかかわらず、四島往来を巡るロシア側のかたくなな対応は繰り返されていくことになる。(敬称略)
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