戦前の日本人の集落はほとんどが海岸線に張り付いていた。その意味で、国後島の内陸に位置するドゥボボエ村は旧ソ連がつくった町である。1950年代から1990年代初めにかけて、国後島にはダルニー国営農場があった。その支部がオトラダ村(近布内)とドゥボボエ村に置かれ、農場では牛や豚を飼育してチーズを生産していた。広大な畑ではジャガイモ、タマネギ、ニンジン、キャベツ、ビートが収穫され、国後島と色丹島に供給されていた。国営農場には機械オペレーター、家畜ブリーダー、搾乳担当などさまざまな専門分野の労働者200人以上が働いていた。パノラマ写真から、ドゥボボエ村の西側に廃墟と化した建物群が確認できるが、1980年代に労働者のために造られた住宅だ。2021年11月12日。携帯電話やインターネットが使用できなかったドゥボボエ村に、高さ30mの基地局が設置された。開通式にはサハリン州デジタル技術開発省の大臣も出席した。このパノラマ写真は、どうやらその時の開通式に撮られたもののようだ。
冬を前に暖房用だろうか、大量の薪が積まれている
比較的新しいそうな日本車が…
これが国営農場の労働者のために造られた住宅だろう
村人が集まって携帯基地局の開通式が行われた
これが基地局のアンテナ。高さ30mある。
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