去年、1人のロシア人男性が国後島から泳いで亡命してきたというニュースを覚えている方、いるでしょうかその男性が先月、テレビメディアとしては初めてHTBのインタビューに応じました。(HTB北海道ニュース2022/7/4)
彼は居場所を明かさないという条件でインタビューに応じてくれました。
ワースフェニックス・ノカルド氏39歳この名前は日本で暮らす上での仮の名前です。
ノカルド氏「いまの暮らしに満足している」
5年前にロシア西部のイジェフスクから移住してきました。
当時、プーチン政権は北方四島など極東地方の発展のため1ヘクタールの土地を希望者に無償提供し移住を促進する制度を打ち出していました。
ノカルド氏もそれを利用したのです。
日雇いの仕事をしつつ自然に囲まれた穏やかな暮らしを送っていました。
Q なぜ島を脱出しようと
A 最初に不愉快なできごとが起きた/あのとき、私は絶望感に覆われて日本に泳いで逃げようと思った。泳いでたどりつけるのか不安でしたが」
不愉快な出来事、それは急に自分のパスポートが無くなったことでした。
「パスポートは誰かが盗んだと思った。なぜなら特殊な機関にとって私は問題児だったから」
ノカルド氏は海外メディアのインタビューにいち国後島民としてプーチン政権に批判的なコメントをしたことがありたびたびロシアの情報機関・FSBから警告を受けていたと主張します。
島から逃げるしかないと思い立ちウェットスーツを手に入れ亡命計画を実行に移したのは2021年8月18日の早朝。誰にも相談せず海へと飛び込みました。
国後島の西南部海岸から泳ぎ始めたノカルド氏。
当初はおよそ17キロ離れた野付半島を目指しました。
「非常に多くのことが怖かった。一つ目はロシアの国境警備隊に捕まることが怖かった。サメに食べられてしまうことも恐れていた、だけど不思議なことに泳いでも泳いでも逮捕されなかった」
途中、視界には警備艇と思われる船が…。
頼りにしていたコンパスも故障し自分がどこを泳いでいるかわからなくなったといいます。
そして23時間にわたり泳ぎ続けたどりついたのは直線距離にしておよそ20キロ離れた標津町の海岸でした。
「浜に上がって30分、ただ横たわって休んでいた、それにしてもやっとたどり着いたときは喜びの感覚であふれていた」
市街地へと向かう途中わずかに両替していた日本円でサンドイッチを購入。
その後、町民に保護され入管施設へ送られました。
難民申請をしたものの認められずいまは「仮放免」という状態です。
仮放免の身分では入管施設への収容は一時的に解かれますが働くことなどはできません。
「私は姿を隠しているので今どこで何をしているかFSBは見当がつかないと思う」
そもそもFSBが目を光らせているとノカルド氏が感じるようになったきっかけは北方領土問題も影響していたといいます。
「国後島にいたときに島を日本に返還したほうがいいという意見を海外メディアに述べていたらFSBに呼び出された」
日本への興味からビザなし交流の団員として北海道に行きたいと国後島に移住する前から考えていました。
日本側の代表団が島を訪れたときには交流イベントにも参加。
当初は返還に反対だったものの自身の経験や島の歴史を学ぶうちに考えが変わったそうです。
「北方領土関連の歴史を研究したり思ったのは当時、ロシアは国際法に逆らい島を不法に奪った発展しない島の生活も見てやはり日本に返した方がいいと考えるようになった」
ただ、こうした意見は少数派です。
3年前の世論調査では四島の島民の96%が北方四島はロシアの領土であり続けるべきと回答していました。
ノカルド氏「(ウクライナ侵攻は)国益のためだと私の親戚たちも思っているようだが私の意見ではそれはファシズムだ」
ノカルド氏はいま難民申請が認められなかったことへの不服を申し立てる「審査請求」をしています。
ただ、難民と認められるには高いハードルがあるとみられます。
ノカルド氏はロシアへの強制送還を恐れています。
帰国することになれば投獄される可能性が高いと彼は認識しています。
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