1945年8月15日に日本が降伏を宣言した後、ソ連軍の第2極東方面軍と太平洋艦隊はクリル諸島(千島列島)を占領するために8月18日、シュムシュ島(占守島)への上陸作戦を開始した。この時の激戦で日本兵1,018人が死傷した。ソ連兵は1,567人が死傷し、そのうち戦死者は516人に上った。(負傷し病院で死亡した人数を除く)北クリルと中部クリルで合計3万442 人の日本兵が捕虜となった。ソ連軍は8月28日に択捉島・留別に上陸し、日本軍の守備隊(1万3,500人)を武装解除。9月1日には国後島・古釜布に上陸し、日本軍守備隊(1,250人)を武装解除。同日、色丹島・斜古丹に上陸し、守備隊(4,800人)を武装解除。9月3日と4日には歯舞群島の島々に上陸し、5日までに志発島420人、多楽島92人、その他の島で武装解除。南クリル諸島(北方四島)で約2万人の日本兵を捕虜とした。クリル諸島全体で捕虜の人数は5万422人となった。極東戦線で日本軍を破ったソ連軍は、第二次世界大戦の終結を早めた。1945年9月2日、日本は無条件降伏文書に調印した。クリル諸島上陸作戦の結果、クリル諸島56島(総面積1万500㎢)を占領し、それらの島々は1946年にソ連に編入された。(サハリン・メディア2022/8/18)
クリル諸島上陸作戦1945年(写真 old.sakhalinmuseum.ru)
クリル諸島上陸作戦1945年(写真boizaostrova.libsakh.ru)
クリル諸島上陸作戦1945年(写真boizaostrova.libsakh.ru)
クリル諸島上陸作戦1945年(写真 old.sakhalinmuseum.ru)
占守島上陸作戦を前に。輸送船に乗り込むソ連兵(オープンソース)
破壊された日本軍の戦車「ハ号」とソ連兵。アメリカ製のM-1スチール製ヘルメットを着用している。(写真pobeda-sakhalin.ru)
ユジノサハリンスクの勝利博物館「第二次世界大戦中のサハリンとクリル諸島」で展示されているM-1スチール製ヘルメット。銃弾あるいは地雷の破片によって破壊されている。占守島の戦場で発掘されたもの。(写真pobeda-sakhalin.ru)
(写真 old.sakhalinmuseum.ru)
1945年8月のクリル諸島上陸作戦に参加した潜水艦L8、L9、L10。
(写真 old.sakhalinmuseum.ru)
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