1991年のゴルバチョフ氏訪日当時、北方領土を望む根室市納沙布岬の売店に並んだ「ゴルビー人形」
30日に91歳で死去したミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領は1991年に来日した際、北方領土とのビザなし交流を提案するなど、釧路、根室管内とロシア人島民の交流拡大に貢献した。ゴルバチョフ氏が導いた東西冷戦終結を機に、日本政府も根室・花咲港などへの旧ソ連からの入境規制を緩和し、ロシアとの貿易が拡大。管内には功績をたたえる声が多い。(北海道新聞根室版2022/9/1)
「ゴルバチョフ氏の訪日時、光が差したように感じた」。根室市の石垣雅敏市長は振り返る。91年の来日時、東京での歓迎夕食会で、当時の市長大矢快治さん=故人=がゴルバチョフ氏と握手。秘書だった石垣氏はその様子を隣で見た。「あれ以来の交流の積み重ねが領土返還、日ロ平和条約の締結につながると信じて取り組んだ」と振り返る。
歯舞群島多楽島出身の河田弘登志さん(87)=根室市=も91年当時、勤務していた市役所に「北方領土返還に英断を! 歓迎ソ連大統領来日」と垂れ幕をかけたことを鮮明に覚えている。92年からのビザなし交流は元島民らを対象にした墓参などと異なり、一般住民も含めた相互理解を目的に始まった。千島歯舞諸島居住者連盟(千島連盟)の副理事長を務める河田さんは「島を去った体験を語るとロシア人島民も理解してくれた。ゴルバチョフ氏に感謝している」と話す。
多楽島出身で同連盟標津支部長の福沢英雄さん(82)=標津町=は「『お互い行き来し、分かり合い、将来的に平和条約を交わそう』という素晴らしい考えを残してくれた」とした。
ビザなし交流で相互訪問したのは、新型コロナウイルスの影響による事業の休止前の2019年までに日本人1万4356人、ロシア人1万132人に上った。
色丹島出身の得能宏さん(88)=根室市=はビザなし交流前は、墓参で島を訪れてもロシア人には近寄りにくかったが、ビザなし交流で訪問を繰り返すうち、「島の息子」と呼ぶほど親しいロシア人もできた。「ビザなし交流がなければ、ロシア人との交流もなかった」と語る。
国後島民2世で同連盟中標津支部長の舘下雅志さん(63)は、93年からビザなし交流に参加。「ロシア人と議論も重ね、領土問題が解決するのでは、と期待した。ゴルバチョフ氏は、連盟の活動に力を入れるきっかけをつくってくれた」と話す。
東西冷戦終結で91年からは根室地域へのソ連人立ち入り禁止措置が緩和された。2000年前後は年1700隻の船が花咲港に入り、2万4千人が入境。だが現在はロシア軍のウクライナ侵攻などで、交流再開は見通せなくなっている。石垣市長は「今の国際情勢だからこそ、ゴルバチョフ氏のような大きな歴史を見つめることができる人物の助言が必要だった」と悔やんだ。(武藤里美、松本創一、川原田浩康)
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