第二次世界大戦終結77周年を記念する厳粛な式典が南クリル地区の国後島のユジノクリリスク(古釜布)と色丹島のクラボザボツコエ(穴澗)で開催され、南クリル地区のゴミレフスキー市長や色丹島行政トップのセルゲイ・ウソフ氏、機関銃砲兵連隊、国境警備隊、正教会の関係者、地域住民、中等学校の生徒たちが愛国行事に参加した。ユジノクリリスクでは、会場となった解放戦士の記念碑に多連装ロケットシステム「スメーチ」、フィールド・キッチンKP-130 、T-80 BV戦車、自走砲ヒヤシンスSAU-2S-5、多連装ロケット砲BM-21グラートなど軍事装備が展示された。1945年9月1日、ソ連軍の最初の部隊が国後島に上陸したのは、記念碑が建てられたこの場所だった。ここで、ソ連軍は日本軍の守備隊長と会見し1,250人の日本兵を武装解除した。同じ1日、ヴォストリコフ海軍少佐の指揮下にある部隊が色丹島のマロクリルスカヤ湾(斜古丹湾)から上陸し、土井定七少将の指揮下にあった日本軍は戦闘なしで降伏した。当時、第4歩兵旅団と野砲大隊4,800人が色丹島に駐屯していた。(sakh.online/2022/9/3)
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