国後島乳呑路(ちのみのち)出身の土田一雄さん(100)=釧路市=が20日、老衰のため自宅で亡くなった。大正から令和の4時代を経験し、北方領土の暮らしを知る生き証人として、近年は四島を題材にした俳句を新聞に数多く投稿。作品からは望郷の念や家族思いでユーモアのある人柄がしのばれる。(北海道新聞釧路根室版2022/9/23)
元島民らでつくる千島歯舞諸島居住者連盟によると土田さんの死去で、22日時点で100歳以上の元島民の会員は道内1人、道外1人だけになった。
土田さんは1922年(大正11年)、国後島最高峰の爺々岳(ちゃちゃだけ)のふもとで生まれた。43年(昭和18年)に海軍に召集。終戦直後、島に戻ろうと根室から国後島の郵便局に通信して旧ソ連軍の侵攻を知り、渡航を断念した。
戦後初めて乳呑路を訪れたのは95年のビザなし渡航で、2015年に国後島を訪れたのが最後となった。爺々岳を目に焼き付け、「高齢で自分はもう島には行けない。子や孫、ひ孫にも見てほしい」と語った。
「帰れない故郷を句に残したい」と90歳を過ぎて始めた俳句は生きがいとなった。「夕焼けや黄金に輝く爺々の峰」「国後の丘の細道昆布舟」など四島を題材にした句が多い。孫の和世さん(39)=帯広市=は昨年、白寿を祝い新聞に投稿した100句を句集にし、サプライズで一雄さんにプレゼントした。
和世さんは「戦争で故郷を奪われるなどつらいことも乗り越え、最後まで自宅で暮らし病気もしなかった。祖父の生き方を尊敬している。故郷への思いは私がしっかりと引き継ぎたい」と大往生をたたえた。(今井裕紀)
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