北方領土墓参の枠組みはビザなしによる相互訪問を認めたものだった–「1986年の協定はソ連と日本の領土にある先祖の墓へ相互に訪問するという人道上の配慮から合意された」ロシア外務省

 今年3月、ロシア外務省は日本がロシアに対する制裁を課したことを受けて、ビザなし渡航に関する協定の一時停止を決定した。それから半年後の9月3日、ミシュスティン首相はビザなし渡航に関する二国間協定からの離脱に関する法令に署名した。

 ビザなし渡航の破棄により双方が何を失ったのか、とりわけロシアと日本の隣人関係の発展にどのような害を与えたのを理解するため、1992年から2019年まで行われたビザなし交流について振り返ってみたい。この間、択捉島国後島色丹島に住む1万1,032人のロシア人がビザなしで日本を訪れた。また、2万5,800人を超える日本人がクリル諸島南部(北方四島)を訪れた。この中には島々に住んでいた元島民と家族が含まれている。さらに、ビザなし交流の一環として医師、日本語教師、科学者などの専門家がクリル諸島南部を訪問し、逆に島のロシア人住民は日本のさまざまな地域を訪れることができた。、こうしたビザなし交流は領土問題を背景にした市民外交の一つの手法だった。

 しかし、2020年に新型コロナウイルスの感染拡大により2020年のビザなし渡航が中止された。2021年も同様の理由で実施されなかった。そして2022年、困難な地政学的状況により、ビザなし渡航はキャンセルされた。

 ビザなしによる両国住民の相互訪問は過去3年間行われていない。1945年まで「千島」という名称で日本帝国の一部だったクリル諸島で生まれた日本国民にとって、この状況は陰鬱だろう。高齢になった元島民は今年まで、新型コロナ感染拡大の終息後、生まれてから子供時代を過ごした島々を訪れる希望を捨てていなかった。

 ロシアは日本とのビザなし渡航に関する協定を破棄したが、それは2つの文書を念頭おいたものだった。1991年10月14日の相互訪問の手続きに関するソ連外相と日本外相間の往復書簡形式による協定と、1999年9月2日の日本国民(元島民及びその家族)による国後島択捉島、小クリル諸島(色丹島歯舞群島)への最大限簡易化された訪問に関する協定(自由訪問)である。

 1991年4月にソ連ゴルバチョフ大統領が訪日した際に、ソ連側は両国間に領土問題が存在することを初めて認め、解決する方法をさぐる必要性を表明した。そして10月14日、相互訪問の手続きに関するソ日外相間往復書簡形式の協定」が署名された。これが北方四島在住ロシア人と日本国民による市民外交としてのビザなし交流である。日本側は択捉島国後島、小クリル諸島を「北方四島」と呼んだ。1992年4月、クリル地区の択捉島と南クリル地区の国後島色丹島の住民からなる最初のビザなし交流訪問団が日本に行った。

 ビザなし交流の範囲は、1999年9月2日の日本国民(元島民とその家族)による国後島択捉島、小クリル諸島への最大限簡易化された訪問に関する二国間協定によって拡大された。この合意は、当時の橋本龍太郎首相がエリツィン大統領に要請して実現した「自由訪問」を意味する。これは、元島民の子供たちが先祖の墓がどこにあるかを知り、忘れないようにするための枠組みだった。

 これら2つの協定の枠組みの中で、クリル諸島南部のロシア人住民は誰でも日本を訪れることができた。そして、主として元島民とその家族などの日本国民はクリル諸島南部を訪れることができた。ビザなし交流代表団のリストにはいくつかの組織の活動家や議員、ジャーナリスト、日本の外務省職員などが含まれていた。

 ロシアは9月3日、これら2つの協定を破棄したことで、ビザなし渡航はすっかり忘れ去られたかのようだ。高齢化した日本の元島民が苦しんでいるのは、年に一度、祖先の墓参りをして、自分が子供の頃に走り回った居住地跡を訪れる機会を奪われているからだ。

 しかし、ロシアが破棄していないビザなし渡航に関する別の(第3の、より正確には最初の)二国間協定が存在する。これは1986年7月2日付のソ連と日本にある日本人とロシア人の埋葬地への相互訪問に関する協定である。この文書は、互いに墓地を訪問するための合意である。ロシア外務省ユジノサハリンスク代表部によると、ロシアは人道上の理由からこの協定を撤回していない。墓地への相互訪問に関する協定が引き続き有効だとして、なぜ日本人は2022年にクリル諸島南部を訪問しなかったのか。この協定は相互協定であり、ロシア国民も日本にあるロシア人の墓地や埋葬地をビザなしで訪問する権利を有することを意味する。日露戦争の犠牲者だけでも相当の数が存在する。

 ユジノサハリンスクの日本総領事館は「2022年に墓地訪問を含め、四島で交流プログラムを実施することは極めて困難になった。実際には、ビザなし渡航の新しいシーズンを前に、両国の当事者が計画の承認を行っているが、現時点でプログラムを調整できる適切な条件は見当たらない」と言った。しかし、日本政府は、お墓参りをはじめ四島との交流プログラムをできるだけ早く再開できることを心から願っている」と付け加えた。

 サフコム通信の記者が1986年に合意した協定の下で、日本に親戚が埋葬されているロシア人がビザなしで墓参りに行くことはできるかについて尋ねた。日本総領事館は「島(北方四島)との交流プログラムは原則として提供されていない」と回答した。

 しかし、クリル諸島南部に住むロシア人がビザなし交流プログラムの一環として日本にあるロシア人墓地を訪ねた例が過去にあった。2012年10月には、大阪府日露戦争のロシア人捕虜の墓地に、2006年10月には鳥取県石見市のロシア人将校3人の墓に行っている。

 この点についてロシア外務省に聞いたところ、1986年の合意に基づく2020年と2021年のビザなし渡航は新型コロナの感染拡大により不可能だった。2022年に状況が改善した後、ロシア側は1986年7月2日の日露合意が引き続き有効であると繰り返し確認している。しかし、この形式でのビザなし渡航(墓参)の実施について、日本からの要請は受けていない」–。「1986年の協定は、ソ連と日本の領土にある先祖の墓へ相互に訪問するという人道上の配慮に基づいて締結された」とロシア外務省は説明した。協定締結の直後、1986年12月、ソ連市民の最初のビザなし渡航訪問団が日本を訪れ、長崎、松山、泉大津にあるロシア兵の墓地を訪れた。訪問団には、ソ連外務省職員、ロシア正教代表、ソ連赤十字に加えて、日露戦争中に日本で埋葬されたロシア兵と船員の遺族6人が含まれていた。1989年11月から12月にかけて、2番目の訪問団が金沢、下田、船橋、函館、戸田のロシア人墓地を訪れた。

 興味深いことに、現在でも有効なこの協定のもとで、理論上は日本への訪問は可能だが、ただし「身分証明書(国内パスポート)及び日本の領事館が認めたリストに掲載されたグループ による訪問で、外交ルートを通じて当事者間で決定された具体的な詳細(訪問場所、ルート、プログラム、交通手段)が必要だという。(サハリン・インフォ2022/9/27)

 

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