本土最東端の納沙布岬で海に向かって立つ飲食店「岬の駅」。道外から訪れた女性客が「目の前にあるのは日本の島ですか」と尋ねると、オーナーの滝沢孝さん(69)は「あれは歯舞群島。ロシアに占領されています」と丁寧に答えた。滝沢さんはさらに海図を示し、「北方領土で一番近い貝殻島は納沙布岬から3・7キロしか離れていない」「向こうに見えるのは国後島です」と教える。女性客は「なんだか切ないね」とつぶやいた。(北海道新聞根室版2022/10/26)
■拿捕の経験語る
滝沢さんが客に北方領土問題を語るのは、店を開く前、漁師時代に旧ソ連に収容された体験があるからだ。1975年秋、ウニ漁の最中に中間ラインを越えた地点で旧ソ連の国境警備局に拿捕(だほ)され、色丹島の収容所に入った。
2カ月もの間、1回の食事は黒パン一つと角砂糖だけ。素手で雪かきをさせられた。雪でのどを潤し、腐りかけの魚をむさぼったこともある。他船の乗組員から、旧ソ連の監視船に追突されて船が転覆し、船頭が亡くなった話を収容中に聞いた。恐ろしい体験から、解放後は拿捕の恐れのない定置網漁師となった。
領土問題があるから悲惨な事件が起きる。「自分の体験を話し、北方領土問題に関心を持ってもらおう」。漁師を引退した後の2018年、「岬の駅」を開いた。
ロシアのウクライナ侵攻が始まった2月以降、納沙布岬を訪れる人からの質問は多く、関心は高いと感じる。滝沢さんは時間が許す限り領土問題や拿捕の経験を語る。「小さな活動だけど、大切なことだと思って続けたい」と力を込めた。
■故郷 目と鼻の先
北方領土の島々を間近に望む納沙布・珸瑤瑁(ごようまい)には、1945年(昭和20年)の旧ソ連の侵攻により故郷を追われた元島民も多く住む。「故郷の島が見えるところで暮らしたい」という思いがあるからだ。
歯舞群島多楽島出身の工藤繁志さん(83)もその一人。45年10月に島を脱出し、家族で根室市内を転々とした。家族は数年の後、夏のコンブ漁の拠点にしていた珸瑤瑁に移り住んだ。自宅から北方領土で最も近い貝殻島までは約5キロ。親戚や知り合いはいなかったが、地域の人々は温かく迎えてくれた。
工藤さんは中学卒業後すぐ、コンブ漁師として働き始めた。63年に旧ソ連との民間協定が結ばれ、貝殻島周辺での操業が認められると、70代後半まで毎年貝殻島周辺に出漁した。
操業中も、干場でコンブを干している時も、自宅で過ごしている時も、歯舞群島は水平線上にくっきりと見える。「島は目と鼻の先にある。俺たちの島なのに、自由に行けないのがもどかしい」。そう思う一方、「故郷の島が近くに見えることが心の支えになった」という。
今、日ロ関係は悪化し、領土交渉、平和条約交渉は中断した。貝殻島周辺でのコンブ漁交渉が遅れるなど、地域の漁業に影響が出ている。それでも工藤さんは珸瑤瑁を離れようとは思わない。「島に近い珸瑤瑁でずっと仕事し、生活してきたから今がある。地域への感謝の思いは生涯変わらないよ」(武藤里美)
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