「島から来たやつらだ」。色丹島出身の石井恵美子さん(87)=根室市=は、旧ソ連の北方領土占領を受け、船で10時間かけて島から根室に逃げてきた77年前のあの日、耳にした言葉が今も忘れられない。(北海道新聞根室版2022/12/1)
当時、石井さんは10歳。生後9カ月の弟を背負い、港からさらに半日がかりで寄宿先に到着した。そこで聞いた立ち話は、引き揚げた家族への侮蔑が含まれているようだった。「苦しい思いをして逃げてきたのに、どうしてそんな言い方をするの」。そう思った。
石井さんは色丹島東部のチボイで、ノリ漁師の娘として生まれた。穏やかな海が眼前に広がる故郷で、1歳年上の兄と一緒に川沿いを駆け回り、魚釣りをして遊んだ。しかし1945年(昭和20年)に旧ソ連が四島に侵攻。一家は同年秋に島を脱出した。
根室は終戦間際の45年7月に空襲を受け、市街地の8割を焼失し、住民の多くが家を失っていた。島を離れ、住まいも家財道具も生業も失った石井さん一家は旧日本軍の施設や古い官舎など仮住まいを転々とする厳しい生活を強いられた。
石井さんは、農作業で家族の食料を自給するために学校を休み、中学卒業後は進駐軍の基地や羅臼の水産加工場で働いた。
石井さんは今でも、穏やかな島の様子を思い出す。旧ソ連の侵攻がなければ、差別的な言葉を投げかけられることも、根室で苦労することもなかっただろう。「戦争で全てががらっと変わってしまった。いつまでも色丹島で暮らしていたかった」(武藤里美)
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