占領後、命がけで故郷へ 色丹島出身・新浜一郎さん(96)=根室市<四島よ私たちの願い 日ロ交渉停止>22

 1945年(昭和20年)の旧ソ連による北方領土占領を受けて多くの日本人が島を脱出する中、自らの意思で島に渡った人がいる。色丹島出身の新浜一郎さん(96)=根室市=。本州で終戦を迎えた新浜さんは故郷の家族に会うため、同年11月に夜闇に隠れて色丹島に戻った。(北海道新聞根室版2022/12/20)

 新浜さんは色丹島南部のキリトウシ生まれ。戦争が始まると名古屋にあった軍事工場に半ば強制的に動員され、終戦まで働いた。

 戦後に戻った根室は空襲で焼け野原になっていた。ソ連に占領された色丹島の様子は不明。途方に暮れた。それでも、父母やきょうだいが島に残っていることや、色丹島に残した日本軍の食料を目当てに、根室からひそかに輸送船が行き来しているという情報をつかんだ。「家族のいる島に行きたい」。その一心で、島に向かう輸送船に乗り込んだ。

 暗くなってから船を降ろしてもらい、家を目指した。「ソ連兵に見つかったら、撃たれて終わりだ」。恐怖を抱えながら、ソ連兵が滞在する兵舎の死角になる山の中を歩き続けた。数時間かけて、わが家に到着。戸を開けた両親の驚いた顔を、新浜さんは今でもよく覚えている。

 その後は47年秋に樺太経由で強制送還されるまで、色丹島の水産工場で旋盤工として働いた。

 新浜さんはビザなし渡航で3回、色丹島に渡った。故郷の地区は無人になり、砂浜は波に浸食されて海に沈んでいた。「キリトウシは人が住むところではなくなってしまったが、私にとっては命がけで渡った生まれ故郷。ロシアには早く島を返してもらいたい」。強く願う。(武藤里美)

 

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