昨年2月に始まったロシアによるウクライナ侵攻は、北海道の目と鼻の先にある極東サハリンを「最も遠い国」に変えた。コロナ禍で停滞した日本とサハリンの人の往来は長期化するウクライナ侵攻でさらに先細り、長年積み重ねてきた観光やビジネス、自治体間交流などの、つないできた糸は切れかかっている。(北海道新聞2023/2/1)
1月末、州都の名を冠したサハリン州南部のユジノサハリンスク空港。古い空港施設の隣で、3月完成予定の近代的な新ターミナルの建設が大詰めを迎えていた。正面をガラス張りにした延べ床面積4万7千平方メートルの施設は、出入国審査場を14カ所から50カ所に拡大。現在の5倍の年500万人の利用を目指す。
「交通の要衝として力強い発展を約束する」。視察に訪れたリマレンコ知事は、誇らしげに語った。
だが、コロナ禍前まで週に計7往復飛んだ新千歳、成田両空港からの定期便が再開するめどは立たない。侵攻後、日本政府はロシアとの国際線の運航を休止。以前は新千歳からユジノまで空路で約1時間半だったが、現在は乗り継ぎなどが比較的便利な中東などを経てモスクワを経由するルートが主流で、片道2~3日の行程を余儀なくされる。
昨年11月ごろから東南アジア経由などの往来も可能になり始めたが、それでも時間は大幅にかかる。
「最も近い外国サハリンが最も遠くなったことが、本当に一番の問題」。日ロ交流に関わってきたサハリン在住の日本人関係者は肩を落とす。
サハリンでは一昨年ごろからコロナ禍の移動制限などが緩和され、日本との往来が再び活発化することに期待の声があった。しかし、ロシアは昨年3月、ウクライナ侵攻に対ロ制裁を科した日本を「非友好国」に指定し、関係は悪化。日本と結ぶ航空便を運航していたロシアのオーロラ航空は昨夏、日本の国土交通省に定期便再開を水面下で打診したが、拒まれたという。
■現地駐在員ら続々退避
ユジノ中心部にある日ロ合弁企業が15年に建設した「北海道センター」は今、閑散としている。拠点を構える日本総領事館、三井物産、道庁、北海道銀行のうち、道庁と道銀は侵攻後に駐在員が日本に退避。道銀は今年3月末での閉鎖を決めた。サハリン事務所を持つ稚内市はコロナ禍で帰国した駐在員の再渡航を見送っている。
日本の官民は侵攻後も石油・天然ガス事業「サハリン1」と「2」の権益を維持した。ただ、米英の企業が撤退しロシア企業主導の操業になったことで、出資企業の一つの三菱商事は昨年11月に日本人所長を帰任させ、地元ロシア人を責任者にした。
自らは残りながら家族を帰国させた駐在員もおり、総領事館によると、在留邦人はコロナ禍前の54人から3割以上少ない36人に減った。19年に6千件あったロシア人への日本の査証(ビザ)発給数も、昨年は200件にとどまった。
北見市出身で22年間ユジノに暮らすオリホビク美香さん(59)は「簡単に実家に帰れないし物も届かない。観光などで往来する日本人を見かけた光景はこの1年で完全になくなり、今は想像も難しい」と話す。
昨年8月にはユジノで20年以上営業し、ガイドブックにも載る日本料理店の「ふる里」と「とよ原」が閉店した。ジンギスカンや焼き魚など「日本の味」を提供していたが、コロナ禍に続いて、侵攻による物価高や、生活の不安に駆られたロシア人客の減少、日本人駐在員の退避などが影響したとされる。
商業施設に入る道内菓子製造大手ロイズコンフェクトの「ロシア1号店」には、もう商品がほとんど並んでいない。フランチャイズで地元関係者が経営するが、昨年半ばに日本から入荷できなくなったという。現地従業員は「在庫はもってあと1カ月」と打ち明けた。
日本とサハリンの自治体間の友好・姉妹都市提携は1960年代後半から始まり、道のほか旭川や北見両市など11自治体が相互訪問などを重ねてきた。コロナ禍でも稚内市が一昨年10月にオンラインで「eスポーツ」大会を開くなど交流は続いてきたが、「この1年、自治体や団体の日ロ交流行事は聞いていない」(総領事館関係者)。日本総領事館もこの1年、州政府や州議会の要人との面会が困難になったという。
■際立つ中国の存在感
一方で、目につき始めたのが「友好国」中国の存在感だ。道路沿いには中国語学校の看板が現れ、昨年11月には中国車「吉利」の正規販売店が初めて進出した。中国のエンジニアリング企業はロシア企業と水素プラントの建設に合意し、年内に着工を予定する。サハリンは中華料理店が見当たらないほど中国との結びつきは薄かったが、リマレンコ氏は対中関係強化を盛んに訴えている。地元住民の1人も「この状況で投資してくれるなら歓迎して当然だ」と語った。
「ビザなし交流は終わった。ロシアと日本に領土問題はなく、クリール諸島(千島列島と北方領土)は大戦の結果、旧ソ連のものになったんだ!」。昨年11月、日本語コースのあるサハリン国立大で開かれた自然科学などに関する学生スピーチ大会では、北方領土の返還反対を訴えた学生が優勝した。
北方領土を事実上管轄するサハリン州では、もともと領土問題で返還反対の声が大勢だが、長年の交流が実り親日家も多く、日本文化への理解もある。日本が非友好国になった後も、地元ロシア人だけで十勝管内大樹町発祥の「ミニバレーボール」大会や、日本の詩朗読大会は開かれた。ただ、ユジノ在住の日本語講師の一人は「生徒から日本に行きたいという声を聞かなくなった」と、対日感情の変化を口にする。
「サハリンは隣国日本を嫌いになったわけではない」。長年、日本との交流に関わってきたロシア政府関係者はこう述べ、続けた。「今は一時停止ボタンが押されただけ。ただ、それがいつまで押され続けるかは誰もわからない」
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ロシアのウクライナ侵攻開始から24日で1年。先の見えない戦争は、世界をどう変えたのか。北海道新聞の記者が、随時伝えていきます。
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