まだ墓 見てないんだもの 国後島出身・村山紀子さん(82)=別海町<四島よ私たちの願い 日ロ交渉停止>29

 「これ以上は島に近づかないの、と船長さんに聞いたら『ロシアに捕まっちゃうよ』と言われました。でも、本当に良い日でした」 別海町尾岱沼地区の村山紀子さん(82)は国後島泊出身。2021年秋、千島歯舞諸島居住者連盟(千島連盟)別海町支部の洋上慰霊に参加した。故郷の島に近づくのは、終戦直後に脱出して以来のことだった。(北海道新聞根室版2023/2/15)

 実家はカニ漁などを営みながら馬も飼い、「生活に苦労したことはなかった」と振り返る。ただ、父は終戦直前に根室へ船で買い出しに出た際、不慮の事故で死去。その後は祖父が家を支えることになった。

 旧ソ連侵攻後の秋、一家は親類を頼って尾岱沼へ脱出。祖父はその船で漁業を始めた。「着の身着のまま逃げた人、逃げられなかった人もいるなか、船があったから、少しばかり荷物を積んで来られたんです」。終戦時に4歳だった村山さんは、野付で小中学校を卒業し、町内の缶詰工場や水産加工場に勤めた。

 「忙しく働いていたからね」と村山さん。これまで、墓参などのビザなし渡航に参加できる機会も何度かあったが、申し込まなかった。一方、ビザなし渡航が中断した中で故郷を思う気持ちもあり、「歩いて行ける所から出て、すぐ帰って来られるなら」と、一昨年の洋上慰霊に参加した。

 「島に行く親戚はみんな亡くなり、私一人のようなもの」と村山さん。島に行ってみたい気持ちは「半分半分」と言う。同時に「まだ墓を見ていないんだもの。今もちゃんとあるのだろうか」とも考える。終戦から間もなく78年、故郷への思いは揺れている。(小野田伝治郎)

 

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