犠牲になるのは幼い命 国後島出身・藤原理さん(89)=根室市<四島よ私たちの願い 日ロ交渉停止>30

 国後島出身の藤原理さん(89)=根室市=は、強制送還の船で乳児だった妹をみとったあの日が忘れられない。(北海道新聞根室版2023/3/9)

 1947年11月、日本の引き揚げ船に乗り、樺太から函館に向かう最中だった。揺れる船の中、床をせわしなくはい回っていた妹は突然動かなくなり、そのまま息を引き取った。人がすし詰めになった引き揚げ船の環境は、飢えた乳児には耐えられなかった。「さっきまで元気だったのに。死んだなんて信じられなかった」。船上で亡くなったと知られれば、遺体は海に葬られる可能性がある。一家は幼い死を気づかれないよう、悲しみを押し殺して遺体を函館まで運んだ。思い出すと、今でも藤原さんの目元に涙がにじむ。

 旧ソ連による日本人の強制送還は47年に始まった。藤原さん一家は国後島南部の故郷・ポンタルベツを追われ、旧ソ連の船で樺太・真岡の収容所に連れられた。そこでの食事は小さな黒パン一切れと、ニシンやマスの塩漬け一切れだけ。「腹が減って減ってならなかったけど、他に食べるものは何もなかった」。体力のない高齢者や子どもが次々死んだ。「本当にひどいところだった」。約1カ月間堪え、やっと乗り込んだ日本の引き揚げ船だった。

 一家は根室管内に住み、漁業を始めた。もともと漁師だった父は、全ての漁具を島に置いてきていた。生活を立て直すことすらままならず、飢えはさらに幼い妹と弟の命をも奪った。

 島を出てから、藤原さんは3人のきょうだいを亡くした。島に住み続けていたらこうはならなかった、と思う。「戦争を始めた日本も、四島に侵攻した旧ソ連も悪い。その責任は誰も取らず、島に住んでいた子どもたちが犠牲になってしまった」(武藤里美)

 

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