ロシアのウクライナ侵攻を受けた日本の対ロ制裁に反発し、ロシア政府が北方領土返還を含む日ロ平和条約交渉とビザなし交流、自由訪問を停止して21日で1年。根室、釧路管内の元島民や交流に携わってきた人たちは返還交渉や交流再開の展望が描けない中、悲痛な思いを胸に1年を過ごした。関係者3人に思いを聞いた。(北海道新聞釧路版2023/3/21)
■早く訪れられるように 歯舞群島多楽島元島民・高橋絹江さん(87)
「あんなにきれいな島を忘れることはできない。ロシアとの交渉を再開してほしい」。釧路町に住む歯舞群島多楽島元島民の高橋絹江さん(87)は、故郷を思い、語った。
ロシアが北方領土返還交渉を含む日ロ平和条約締結交渉を凍結して1年。ロシアのウクライナ侵攻の収束が見通せない状況だからこそ、強く思う。
1945年、10歳で終戦を迎えた。多楽島に上陸した旧ソ連軍から逃れるため、両親のコンブ漁用の船で着の身着のままに近い状態で島を脱出した。「2~3年で島に帰れると思っていた。島がいまだに返らないとは」
一緒に逃げてきた元島民は毎年誰かが亡くなる。墓参で多楽島を訪れたときの写真を眺め、「私は島を知る最後の世代。返還を願うとともに、早く島を訪れられるようにしてほしい」と訴えた。(高橋義英)
■涙が出るほどさみしい 国後島泊村元島民・田畑クニさん(87)
国後島泊村元島民で標津町に住む田畑クニさん(87)は「しばらくは国後へ行けないな」と、遠くを見つめてつぶやいた。
日ロ関係悪化により、交流の再開、四島の返還交渉が見通せない現状に心を痛める。「何歳になっても故郷へ行きたい。交流が止まってしまい、涙が出るほどさみしい」
ビザなし交流には10回以上参加し、国後島古釜布のロシア人宅に泊まり、もてなしを受けた。「ジャガイモなどを食べ、レコードをかけて一緒に踊りを踊った。今でも目に浮かぶよ」と交流を振り返る。
標津町川北の自宅にもホームビジットでロシア人の女性を泊めた。娘の赤い振り袖を着せ、インスタントカメラで写真を撮って贈った。「なかなか着物を脱ぎたがらないほど気に入ってくれてねえ」と懐かしみ、今はただ、平和が訪れることを願っている。(森朱里)
■交流の糸切れぬか不安 交流団体「たんぽぽ」代表・本田幹子さん(65)
「顔を合わせられない期間が長くなり、交流の糸が切れてしまわないか不安だ」。根室市民による日ロ交流団体「ビザなしサポーターズ たんぽぽ」代表の本田幹子さん(65)は肩を落とす。
歯舞群島志発島の元島民2世。ビザなし渡航で2019年までに20回以上四島へ。家族ぐるみのつきあいのロシア人もいる。新型コロナウイルスの影響でビザなし渡航ができなかった21年も、色丹島のロシア島民とオンライン交流会を実施。接点を持ってきた。
だが、ビザなし交流、自由訪問の合意の中断から1年たち、オンライン上のつながりも途絶えた。「もう日本と関わる必要はない」と考えるロシア人が増えることを危惧している。
本田さんは「SNS(交流サイト)で近況を伝え合うことさえできない状況がこれからも続くと思うと、悲しい」と嘆いた。(川口大地)
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