熱意ある元島民いるうちに 国後島泊村出身・岩松昇さん(83)=標津町<四島よ私たちの願い 日ロ交渉停止>37

 「戦争は今も昔も人を不幸にする」。国後島泊村米戸賀出身で標津町に住む岩松昇さん(83)はこう強調する。島での思い出や、強制引き揚げの際の苦い記憶が心に刻み込まれている。(北海道新聞根室版2023/5/18)

 1945年秋、旧ソ連人が島に上陸し、1年後には家族を連れて来た。子供同士が仲良くなるのに時間はかからず、「言葉が分からなくても一緒に遊び、普通のけんかもした」。当時、石をぶつけられた時にできたという額の傷に触れ、目を細めた。状況が厳しくなった47年、7歳で故郷を追われた。

 樺太の真岡(ホルムスク)収容所でのつらい生活を思い出すことがある。「列に並んで食料をもらった。テレビなどで同じような姿を見ると涙が出る」。樺太から船で函館に向かったが、海には機雷があり、「子供ながらに命の保証がないことを理解した」と語る。

 函館で伯母の世話になった後、根室に移住。根室高校卒業後に働き始め、釧根管内各地に転勤した。「引き揚げ者は『ソ連に染まっている』といじめられる。それが嫌で学校でも職場でも過去のことを言えなかった」と振り返る。

 故郷への強い思いに背中を押され、ビザなし渡航に参加した。中でも2019年9月の自由訪問では、子と孫を連れて親子3代で国後島に渡った。長女が「島に来て、初めて父の生まれ故郷だと実感した」と話したのを聞き、心底うれしかったという。

 元島民の平均年齢は87歳を超えた。返還運動といった活動は2世などに引き継がれ始めている。「一番の心配は、古里に対する強い熱意がある元島民がいなくなること。一日でも早く(北方領土が)戻り、平和条約を結んでもらうことを願う。死ぬまでにもう一度行きたいから」(森朱里)

 

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